フルートの出番です137 チマローザ「2つのフルートのための協奏曲」 | 翡翠の千夜千曲

翡翠の千夜千曲

音楽を学びたい若者で困難や悩みを抱えている人、情報を求めている人のための資料集

          

 Cimarosa Concerto for 2 flutes, Galway, Pelleg, Voxmusicorum

 

          

D. Cimarosa - Concerto per 2 flauti e orchestra - Rampal/Kudo - Mozarteum Orchestra Salzburg.

00.00 1- Allegro 09.28 2- Largo 13.16 3- Allegretto - Rondeau

 

 

  今日は、チマローザの「2つのフルートのための協奏曲」を聴きます。演奏について私見を述べますと、ランパル・工藤組の演奏の方が優れています。音の立ち上がり、リリースの処理において確実で端正に作られています。他にも優れている要素はありますが、曲全体をつかみ取って音楽を作り上げる技術が素晴らしいと思います。

  さて、ドメニコ・チマローザ(Domenico Cimarosa, 1749年- 1801年)は、イタリアの作曲家です。ローマで成功し、オペラ・ブッファの第一人者でした。後にペテルブルグとウィーンで短期間ながら宮廷楽長に就任しています。共和制ナポリを支持して死刑判決を受けたため、ヴェネツィアへ政治亡命した後に急死しました。
  レンガ職人の父と洗濯婦の母の貧しい家庭で生れました。父親は仕事の作業中に事故死しましたが、幼い頃より楽才に優れている事が僧院のオルガン奏者の目にとまり、その援助を得て11歳で現在のナポリ音楽院の前身であるサンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院に入学することができました。
  彼が如何に才能豊かだったかは数々の出来事が示していますが、作曲したオペラは約70曲を数え、その他レクイエム、オラトリオ、チェンバロ・ソナタなど美しい旋律が印象的で、チマローザと同年生れのゲーテは彼の音楽を賞賛しています。1791年の42歳の時、 レオポルト2世の招きで、アントニオ・サリエリの後任としてウィーンの宮廷楽長となっていますが、この職は、モーツアルトが希求するほどの職でしたが希望がかなっていません。この前後のオペラ作曲家の作品の中で、いまだに演奏される作品を書いた数少ない人物として残っています。ロッシーニが登場するまではオペラ・ブッファはチマローザが第一人者でした。

  有名なオーボエ協奏曲は、オーストラリアの作曲家アーサー・ベンジャミンはチマローザのチェンバロ・ソナタから4曲を選んで編曲し、オーボエ協奏曲に仕上げたものです。
  1771年の22歳のとき最初のオペラで成功し、その後はローマの各劇場からの作曲の委嘱で活躍しています。1787年には、ロシアの女帝エカテリーナ2世の招きでペテルブルクに行きましたが、良い結果が得られず戻ります。この頃に88曲のチェンバロ・ソナタを作曲しています。ウィーンの宮廷楽長となって間もなく、代表作となったオペラ「秘密の結婚」を作曲しますが、レオポルド2世が亡くなって宮廷楽長や宮廷作曲家の地位をすて、ナポリに帰っています。その年に書かれたのが、このフルート作品です。その後のことは、またの機会にしましょう。

 

 

 

ベルリオーズ:幻想交響曲、チマローザ:2つのフルートのための協奏曲

マルケヴィチ(イーゴル) (アーティスト, 指揮), ベルリオーズ (作曲), & 2 その他  形式: CD

 

チマローザ、ドメニコ/2本のフルートのための協奏曲

Cimarosa, Domenico CONCERT