私が尊敬する人の一人に、立野泉さんがいらっしゃいます。ピアノを勉強された方や音楽ファンの方々には感慨深いお名前かと思います。略歴は一番下に書いておきますが、そんなうたい文句が必要ないくらい素晴らしい演奏家です。
突然話は変わりますが、かつてフィンランドでは提督ビールと呼ばれるビールを醸造、販売していました。このビールの特徴はボトルや缶のラベルに世界各国の「提督」24人を描かれているのです。ホレーショ・ネルソンや東郷平八郎などが描かれていました。会社はその後に倒産しました。提督ビールの販売は続いたのですが、それも1992年には製造中止となりました。2003年にはライセンスを取得した会社が提督ビールの製造を再開しましたが、2004年末には再び製造が中止となっています。
日露戦争の日本海海戦で日本勝利の立役者でもある東郷平八郎ラベルのビールがフィンランドで販売されていのは、「東郷平八郎にフィンランド独立の恩顧がある」、「親日国である」といった要素もあるようです。また、東郷ビールとして日露戦争後にロシア統治下であったフィンランドが、独立を記念して販売されたと記された日本の文献もあります。
しかし、東郷平八郎と戦ったロシア帝国海軍バルチック艦隊のジノヴィー・ロジェストヴェンスキーを描いたラベルのものもあったたと言いますから、真偽のほどは分かりません。フィンランドでの提督ビールは製造販売が終了していますが、日本では日本ビールが日本で製造したビールに東郷平八郎を描いたラベルを貼り、日本国内向けに「東郷ビール」として販売しています。
ビールとオーロラは似つかわしい?
いずれにしろ、その後もフィンランドは政治的にも難しい立場にありながら、何とか均衡を保っていると思われます。そういう、フィンランドにあって文化的に日本を好意的に捉えているのは、実は東郷ではなく、立野泉さんなのかもしれません。ネット上で検索すれば、左手のピアノにストとしてのニュースに接することになるでしょうが、実は私が大学にいた時代から北欧諸国の音楽、ことにピアノ作品を通してフィンランドの音楽文化を地道に演奏し紹介してきたのです。 ※立野泉に関する楽譜と著作
日本のクラシック音楽家で初めてファンクラブが設立された人でもゆうめいになりましたが、活躍中の2002年、脳溢血のため転倒し右半身に麻痺が遺ります。リハビリを経ても右手が不自由のままでしたが、2003年8月のオウルンサロ音楽祭で復帰を果たします。その中でスクリャービンやリパッティによる、左手のためのピアノ作品を演奏しました。それをきっかけに、本格的にこの分野を開拓していこうと決意し、翌年には日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開き、マスコミにも大きくとりあげられました。以後、演奏会、録音ならびに新作委嘱などを通して、左手ピアノ曲の普及に努めています。
ご本人の映像は著作権の関係上載せられませんが、他の方の演奏がユーチューブにありますので北欧の音楽の一端をお聞きください。尚、この演奏には演奏者の石原可奈子さんの作品も入っております。
"Summer Northern Europe Classic Piano+ Collection" -Purenist-
※ こんなときだから、こんな番組。 ぶらあぼ
立野 泉 略歴
1936年 東京生まれ。
1960年 東京藝術大学首席卒業。1964年よりヘルシンキ在住。1968年メシアン・コンクール第2位。国立シベリウス・アカデミーの教授を務めたのちフィンランド政府より芸術家年金を与えられて、世界各国で行った演奏会は3500回を超え、世界中の聴衆から熱い支持を得る。
2002年 演奏会長後、脳出血により右半身不随となるが、2004年「左手のピアニスト」として復帰。
2002年 左手作品の充実を図るために「舘野泉左手の文庫(募金)」を設立。
2010年 演奏生活50周年を迎える。
2012年 ウィーン、ハンガリー、フランス、エストニア、ヘルシンキ、モンゴル、ベルリンで海外公演を行う。左手ピアノ音楽の集大成「舘野泉フェスティヴァル~左手の音楽祭2012-2013」は、全16回公演で独奏曲から室内楽作品の数々を紹介し、最終回は自身に奉げられた3つのピアノ協奏曲をプログラムにして全国ツアーで完結。
2014年 ベルリン・フィルハーモニー・カンマザールでのリサイタルは全聴衆総立ちのスタンディング・オーベーションで讃えられた。
フィンランド ピアノ名曲コレクション
舘野泉 (アーティスト), シベリウス (作曲), パルムグレン (作曲), & 6 その他 形式: CD