ホルンの出番です③ リヒャルト・シュトラウス:ホルン協奏曲 第1番・第2番 | 翡翠の千夜千曲

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  リヒャルト・シュトラウスのお父さんは名ホルン奏者でした。父親のフランツ・シュトラウスは古典派音楽が好みで、特にモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンの音楽を好んでいました。バイエルン王ルートヴィヒ2世は、ワーグナーによる新しい音楽を国立歌劇場で上演して普及に勤しんでいたのですが、シュトラウスはワーグナーの音楽を毛嫌いしていたほどです。
  人としても音楽家としてもワーグナーから距離を置いていましたが、厳格なプロ意識と高い技術でワーグナーの楽劇における重要なホルンソロを確実に演奏しました。「トリスタンとイゾルデ」、「ラインの黄金」、「ワルキューレ」の初演でも演奏を引き受けました。ワーグナーは「シュトラウスは大嫌いな奴だが、彼がホルンを吹いたら誰も不機嫌ではいられない。」と言ったと言います。作曲作品もありホルンの作品をいくつか残しています。

 

 

  R.シュトラウス / ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調 指揮&ホルン: ラデク バボラーク

 

  息子のリヒアルト・シュトラウスは、若い頃は父親の影響もあって古典的な基礎を身に付け、骨格のしっかりとした作品を書きましたが。次第に自分の道を探索し切り拓いていきます。ホルン協奏曲は2曲ありますが、その第1番は古今のホルン協奏曲の中でも、演奏頻度の高い曲の一つです。父親の想定して書かれたこの曲は、1883年に書かれています。全体にシュトラウスのオーケストレーションによって爽快感が生まれ、自然の雄大さを思わせるような名曲になっています。このホルン協奏曲第1番は、ナチュラルホルンのストップ奏法だけでは演奏の難しい音が多く使用されています。1800年代中ごろにはバブホルンが作られていますから。恐らくは、バルブホルンを念頭に置いて作曲されたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 ホルンと管弦楽のための第2協奏曲変ホ長調は、前作から約60年経って書かれています。1942年の作品ですが、作品番号はありません。シュトラウスは晩年に、管楽器を独奏楽器としたモーツァルを思わせるような協奏曲を3曲書きました。この作品とオーボエ協奏曲ニ長調(1945年)、二重小協奏曲(クラリネットとファゴット、1947年)がそれです。初演は、カール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とその首席ホルン奏者であるゴットフリート・フォン・フライベルクに演奏によって行われたといいますからご年配の方には懐かしく思われるのではないでしょうか。

 

 

 

ヘルマン・バウマンR.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番・第2番 他