音楽を学ぶ⑥ 民族のアイデンテティ、自由を求めて翻弄された作曲家 | 翡翠の千夜千曲

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  現在でも音楽に関係する職業が多岐にわたるように、作曲家や演奏者の他にも、言い方は様々ですが表立って、或は裏方で活躍されている方が随分通られます。職業に貴賤はありません。どの仕事も必要だから存在し、必要が無くなれば衰退していきます。もっともリバイバルがあれば、復活することもありますから一概に職業を有無の2分類でくくるのは如何かと思います。卑近な例をとれば、駕籠かきはいませんが、車夫はいます。

  さて、音楽の世界にも多くの先人が、様々な分野で活躍してくれたお陰で現在の姿があります。その中に、音楽学者という存在があるのを忘れてはいけません。古くは、アリストクセノスと言う人がおりますが、この時代で著名なのはピタゴラスでしょう。彼は、1オクターヴを2:1、完全5度を3:2、完全4度を4:3、そして完全5度と完全4度の差を9:8と定義しました。これを基にピタゴラスの音律が定義されました。この後も様々な理論や学問、学派(楽派)と呼ばれる形の研究もされています。

  このように、数的な処理を施した理論の他にも、いわゆるフィールドワークによる調査研究があります。諸説ありますが、ベートーヴェン以降のロマン派の作曲家たちをマーラー辺りまで括ってベートーヴェンコンプレックス世代と呼ぶ人もいます。曲を長く書こうが、様々な楽器や形式を加えようが、技術を凌駕しようが、殆どベートーヴェンのやったことの追従の域を出ないと言った意味の言葉です。

  それをどこまで意識したかは分かりませんが、ヨーロッパの中でもドイツやイタリア、フランス、オーストリア、オランダなどの音楽の華やかなところから少し離れた場所に生まれた作曲家たちは、旧帝国が支配していた場所に起きた民族意識の高揚や独立の機運とともに音楽的アイデンテティともいうべきものを追求しようと考え始めます。そして、行動に移していくのですが、その源を地元に古くから伝承されている民族音楽の発掘と記録から始めます。その、芽生えは先に述べたロマン派の中にも既に萌芽がありました。例えば、ブラームスはハンガリー舞曲を書きましたし、ショパンはマズルカを書き、スメタナは我が祖国を書きました。けれどもそれは、○○風であって、本物ではないと考えたのでしょう。彼らは、地方を回り、採譜したり踊りを見たりする中で、目覚めるものに出会います。子供の時聴いたり歌ったりした歌や踊り、忘れ去られた古い音楽などの発掘によって自分たちのルーツを探ろうとし、それを作品に仕立てて行きます。

  その代表格が、バルトーク・ベーラ であり、コダーイ・ゾルターンです。バルトークは、学問分野としての民俗音楽学の祖の1人として、東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行いました。彼らの仕事は、この項で語れるほど容易いものではありませんし、当時、その作品のは世界的に賛辞を受けるほどのものにはなりませんでした。彼らの仕事は、立派で正しい方向でしたが、ポピュラーではなかったのです。時代は、既に少数の人々の哀愁などを許容する時代から覇権主義、軍事主義、帝国主義など危険な時代へ入りつつありました。 詳細はいずれどこかで語ります。

  このようにして愛する祖国や近隣の音楽の萌芽や人々の中に生きる音楽を研究し追求していた東欧、特にハンガリーは第一次世界大戦前後から芸術院とも、時の政府の政治的な姿勢とも齟齬を感じていた上にナチスの台頭もあり、母親の死を機にアメリカに移住します。戦争のせいもあり思い描いたような生活はできません。印税も入らず生活に困窮します。友人らに支えられて何とか立ち直り作品を生み出しますが、一見、賑やかで華やかな都会の中で、彼の理解者も心底彼を擁護することはできませんでした。最後は白血病で亡くなります。

  今日は、故郷の景色や懐かしい人々を思い返していたのでしょうか。アメリカに渡った時もピアノでしょっちゅう弾いていたと言う「トランシルバニアの夕暮れ」などを聴きましょう。私は、この曲が大好きで色々な編成で編曲もしています。2曲目はルーマニア舞曲。

 

 

Béla Bartók - Evening in the village (Este a székelyeknél)

 

 

Muzsikás: Bartók: Romanian Folk Dances / with Danubia Orchestra

 

 

バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽、管弦楽のための協奏曲


小澤征爾 (アーティスト, 指揮), & 2 その他  形式: CD