「サザンオールスターズ年越しライブ2014に関するお詫び」
ネトウヨが大喜びしてるみたいだけど、馬鹿を逆撫でするためにも(笑)私の見解を書いておいてやろうか(^ ^;
そもそもサザンオールスターズというのは1978年に青山学院大学の学生バンド(ドラムスとパーカッションはそれ以前からのプロでしたが)がロフト(まさにさっきまで私がトークやってたところが運営するライブハウス)とかでライブをやってるうちに当時の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ:最初にテレビ出演したのはここだそうです)や『ザ・ベストテン』(TBS)などの音楽番組でブレイクしたんですね。
デビュー曲の『勝手にシンドバッド』は政治性がどうのこうのなんて話とはまるで無縁。むしろ「この滅茶苦茶な日本語は何だ!」「ようするにコミックバンドだろ?」と言われながら、当時はまだ演歌とかが強く、ロックなんてものは一部の悪いガキンチョのやってるもんだ的な当時の大人たちの目線が強かった時代に「色モノ」的にマスメディアで露出して、当初はそうした扱い方をされることが多かったんですが、デビュー3曲目の『いとしのエリー』をきっかけに「え、ちょっとこの人たちって何よ?」と、ミュージシャンとして真っ当に評価されるようになった。
ちなみに70年代後半~80年代、特に大学という場では、70年前後の学生運動の盛り上がり→失速の反動で、そうした政治運動に対しては学生たちも概ねネガティブというか「ちょっと変な一部の人たちがやってるもの」という忌避感が強かった一方、日本社会自体は政治的・経済的にも安定しながら、やがてバブルへと至る繁栄への道のりを歩んでいった。サザンもまたそうした時代の中でどんどんメジャーな存在になって行った。
桑田佳祐自身も全然政治的なバックボーンを持つ人ではなかったし、たぶんその時代にごく普通にいたノンポリ的な人であり、そうした中でごく自然に自分の音楽を編み出した人だった。ただ、彼の音楽的バックボーンにはビートルズがあったし、エリック・クラプトンやボブ・ディランやレイ・チャールズ、さらにはそれまでの日本の歌謡曲もあった。だから音楽に関しては国とか民族とかを超えて親しんでいたし、その点ではそうしたエスニシティみたいなものへの違和感はないのでしょう。かく言う私も、自分が中学生だった頃に聴いたサザンを通じてビートルズやローリング・ストーンズを聴くようになったし、さらにその彼らのバックボーンにはブラック・ミュージックなどもあり、それがどんな歴史的経緯の中で生まれてきたかも生齧りですが知った。「音楽って、いろんな国の、いろんな人々の体験の中から生まれてくるんだな」と。
一方でサザンに対しては少し下の我々ぐらいの世代(現在40代前半~50代前半)からはウケが良かったものの、もう一回り上の、それこそ団塊の世代ぐらいの人たちにはあんまりウケが良くなかったみたいですね。つまり先行世代のミュージシャンのような政治的なプロテストをあからさまに打ち出した曲はほとんど歌わなかったから(もっともエロネタで際どいのをやって実質的に放送禁止になったとかってのは結構あったんですけど)。
また、ちょっと上にRCサクセションや泉谷しげるみたいな存在がいたし、沢田研二が(今では信じられないけど)地上波の歌番組で「サムライ」という曲を歌う際にナチス党員の衣装を模したというか、モロに腕にハーケンクロイツをつけた姿でオンエアされて物議を醸したこともあった。一方では後発世代(我々と同世代)のブルーハーツあたりが「チェルノブイリ」とかを歌ったりして(当時はまだあの事故の記憶が生々しかった)いたこともあったんで、結果的にサザンや桑田はそこに踏み込まずに済んでたところもあったと思うんですね。
ところが今やRCはもとよりブルーハーツも(ベースが『幸福の科学』に、ファンクラブ会長がオウム真理教に入信したせいかどうかは定かではありませんが)いない。そんな中で変な話、今だ国民的な人気を持つサザンぐらいしか、ああいう場でああいうことをやって大きな話題を巻き起こせるミュージシャンがいなくなっちゃった(と桑田佳祐も自覚したうえで敢えてああいうことをやらなければと思ってしまった)んじゃないかと。
だから正直に言えば私もサザンにあんなベタな曲やパフォーマンスをやってほしくなかったというのが私の本音でもあります(というか、正直なところ私自身は90年代半ば以降のサザンは「隠居生活に入った」という感じでほとんど聴かなくなりました。『TSUNAMI』なんか「よしてくれよな~」と思ったもん。今じゃタイトル的にも「放送禁止歌」になっちゃったのかもしれないけど ^_^;)。
とはいえ、(庇うわけじゃないけど)本来あんなことをやらせなくてもよかったサザンにああいうことをやらせるまでになってしまったという状況のほうが問題なんだと私は思ってます。
だって、上に書いた私の個人的サザン体験からしてもそうですけど、大晦日に横浜アリーナを埋め尽くすぐらいいるサザンのファン層(大半は今では社会人として家庭を持って暮らしている人たちでしょうが)は、あのネトウヨのヘイトスピーチやら安倍首相の言動には正直呆れていると思いますよ。ただ、前述の通り「政治的アクション」を起こす層ではないんですよ。よく「投票に行かない『サイレント・マジョリティ』は現状の安倍政権でよしとしている」とか言われますが、実はサザンが抱えている「サイレント・マジョリティ」も少なからずいると思うんですよ。だから安倍首相もわざわざサザンのライブに来た。でも、そこで当てこすりされたわけですけど(笑)。
といったことを踏まえるに、繰り返しますが「別にサザンはあんな中途半端な言い訳めいた謝罪をせずに、ほっとけばよかったのに」と思うわけです。まあ、周囲からいろいろ言われたのかもしれないけど、個人的には約20年前に『すべての歌に懺悔しな!!』の歌詞をめぐって桑田が長渕に「そんなつもりじゃなかったんです」みたいな手紙を送ったとかで逆に問題に火を点けちゃったのを、また繰り返しちゃったのかな、と(^_^;
でも、まあ、話題として引っ張ることで10年ぶりのオリジナルアルバムのセールスにもつながるかもしれないし、先日アミューズ事務所前で喚いてた連中もどうせあれ以上は大したことはできないだろうからいいんだけどね。私が桑田さんにもし直接何か言う機会があったとすれば「もう放っとけばいいし、そんなくだらないことに煩わされずに好きなように曲を作ってください。別に『ただのパフォーマンスじゃねえか、あんなもん』ということで、誰に向けてだかわからんような、あんな中途半端な詫び文を書く必要もなかったんじゃないですか? いろいろ大変なんでしょうけど」ってとこかな。
ネトウヨが大喜びしてるみたいだけど、馬鹿を逆撫でするためにも(笑)私の見解を書いておいてやろうか(^ ^;
そもそもサザンオールスターズというのは1978年に青山学院大学の学生バンド(ドラムスとパーカッションはそれ以前からのプロでしたが)がロフト(まさにさっきまで私がトークやってたところが運営するライブハウス)とかでライブをやってるうちに当時の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ:最初にテレビ出演したのはここだそうです)や『ザ・ベストテン』(TBS)などの音楽番組でブレイクしたんですね。
デビュー曲の『勝手にシンドバッド』は政治性がどうのこうのなんて話とはまるで無縁。むしろ「この滅茶苦茶な日本語は何だ!」「ようするにコミックバンドだろ?」と言われながら、当時はまだ演歌とかが強く、ロックなんてものは一部の悪いガキンチョのやってるもんだ的な当時の大人たちの目線が強かった時代に「色モノ」的にマスメディアで露出して、当初はそうした扱い方をされることが多かったんですが、デビュー3曲目の『いとしのエリー』をきっかけに「え、ちょっとこの人たちって何よ?」と、ミュージシャンとして真っ当に評価されるようになった。
ちなみに70年代後半~80年代、特に大学という場では、70年前後の学生運動の盛り上がり→失速の反動で、そうした政治運動に対しては学生たちも概ねネガティブというか「ちょっと変な一部の人たちがやってるもの」という忌避感が強かった一方、日本社会自体は政治的・経済的にも安定しながら、やがてバブルへと至る繁栄への道のりを歩んでいった。サザンもまたそうした時代の中でどんどんメジャーな存在になって行った。
桑田佳祐自身も全然政治的なバックボーンを持つ人ではなかったし、たぶんその時代にごく普通にいたノンポリ的な人であり、そうした中でごく自然に自分の音楽を編み出した人だった。ただ、彼の音楽的バックボーンにはビートルズがあったし、エリック・クラプトンやボブ・ディランやレイ・チャールズ、さらにはそれまでの日本の歌謡曲もあった。だから音楽に関しては国とか民族とかを超えて親しんでいたし、その点ではそうしたエスニシティみたいなものへの違和感はないのでしょう。かく言う私も、自分が中学生だった頃に聴いたサザンを通じてビートルズやローリング・ストーンズを聴くようになったし、さらにその彼らのバックボーンにはブラック・ミュージックなどもあり、それがどんな歴史的経緯の中で生まれてきたかも生齧りですが知った。「音楽って、いろんな国の、いろんな人々の体験の中から生まれてくるんだな」と。
一方でサザンに対しては少し下の我々ぐらいの世代(現在40代前半~50代前半)からはウケが良かったものの、もう一回り上の、それこそ団塊の世代ぐらいの人たちにはあんまりウケが良くなかったみたいですね。つまり先行世代のミュージシャンのような政治的なプロテストをあからさまに打ち出した曲はほとんど歌わなかったから(もっともエロネタで際どいのをやって実質的に放送禁止になったとかってのは結構あったんですけど)。
また、ちょっと上にRCサクセションや泉谷しげるみたいな存在がいたし、沢田研二が(今では信じられないけど)地上波の歌番組で「サムライ」という曲を歌う際にナチス党員の衣装を模したというか、モロに腕にハーケンクロイツをつけた姿でオンエアされて物議を醸したこともあった。一方では後発世代(我々と同世代)のブルーハーツあたりが「チェルノブイリ」とかを歌ったりして(当時はまだあの事故の記憶が生々しかった)いたこともあったんで、結果的にサザンや桑田はそこに踏み込まずに済んでたところもあったと思うんですね。
ところが今やRCはもとよりブルーハーツも(ベースが『幸福の科学』に、ファンクラブ会長がオウム真理教に入信したせいかどうかは定かではありませんが)いない。そんな中で変な話、今だ国民的な人気を持つサザンぐらいしか、ああいう場でああいうことをやって大きな話題を巻き起こせるミュージシャンがいなくなっちゃった(と桑田佳祐も自覚したうえで敢えてああいうことをやらなければと思ってしまった)んじゃないかと。
だから正直に言えば私もサザンにあんなベタな曲やパフォーマンスをやってほしくなかったというのが私の本音でもあります(というか、正直なところ私自身は90年代半ば以降のサザンは「隠居生活に入った」という感じでほとんど聴かなくなりました。『TSUNAMI』なんか「よしてくれよな~」と思ったもん。今じゃタイトル的にも「放送禁止歌」になっちゃったのかもしれないけど ^_^;)。
とはいえ、(庇うわけじゃないけど)本来あんなことをやらせなくてもよかったサザンにああいうことをやらせるまでになってしまったという状況のほうが問題なんだと私は思ってます。
だって、上に書いた私の個人的サザン体験からしてもそうですけど、大晦日に横浜アリーナを埋め尽くすぐらいいるサザンのファン層(大半は今では社会人として家庭を持って暮らしている人たちでしょうが)は、あのネトウヨのヘイトスピーチやら安倍首相の言動には正直呆れていると思いますよ。ただ、前述の通り「政治的アクション」を起こす層ではないんですよ。よく「投票に行かない『サイレント・マジョリティ』は現状の安倍政権でよしとしている」とか言われますが、実はサザンが抱えている「サイレント・マジョリティ」も少なからずいると思うんですよ。だから安倍首相もわざわざサザンのライブに来た。でも、そこで当てこすりされたわけですけど(笑)。
といったことを踏まえるに、繰り返しますが「別にサザンはあんな中途半端な言い訳めいた謝罪をせずに、ほっとけばよかったのに」と思うわけです。まあ、周囲からいろいろ言われたのかもしれないけど、個人的には約20年前に『すべての歌に懺悔しな!!』の歌詞をめぐって桑田が長渕に「そんなつもりじゃなかったんです」みたいな手紙を送ったとかで逆に問題に火を点けちゃったのを、また繰り返しちゃったのかな、と(^_^;
でも、まあ、話題として引っ張ることで10年ぶりのオリジナルアルバムのセールスにもつながるかもしれないし、先日アミューズ事務所前で喚いてた連中もどうせあれ以上は大したことはできないだろうからいいんだけどね。私が桑田さんにもし直接何か言う機会があったとすれば「もう放っとけばいいし、そんなくだらないことに煩わされずに好きなように曲を作ってください。別に『ただのパフォーマンスじゃねえか、あんなもん』ということで、誰に向けてだかわからんような、あんな中途半端な詫び文を書く必要もなかったんじゃないですか? いろいろ大変なんでしょうけど」ってとこかな。