復活サザン 平和願う歌 5年ぶりライブ
(東京新聞 2013年8月11日朝刊)

 デビュー曲「勝手にシンドバッド」が出たのは1978(昭和53)年夏、私は中学二年生だった。昼間に部活動(剣道部)の練習でヘトヘトに疲れきった後で夜に家まで帰ってきたら、テレビでやってた『ザ・ベストテン』で、何だかジョグパン姿の小汚なそうな(って他人のことを言えなかったけど)お兄さんがガラガラ声でがなってるなあ……と思いつつ「何か変な歌だな」と心に引っかかっていた。

 その2曲後に出たのが「いとしのエリー」で、これは深夜に一人でラジカセ(今や死語?)で聞きながらカセットテープ(これも今やコンビニに行っても売ってない)に録音したのを、何度もリピート(って言葉は当時知らなかった)していたのを覚えている。正直、デビュー曲と同様、不細工でスマートではない歌だと感じながらも、なんでこれがこんなに心の中に染み入って来るんだか、自分でもよくわかんなかった。

 その後、高校時代は再び部活(また剣道部)や大学受験で聴かなくなっちゃったけど、大学に合格して地元を離れ、入った学生寮で同室だった奴(今だに腐れ縁的につきあいがある)が部屋の中で『バラッド』をかけてるうちに、またハマッてしまった(笑)。当時免許を取り立てで、先輩から安く譲ってもらった原チャリ(ホンダのCB50S)でもって緑豊かな岩手県内を昼間に(授業もサボって)乗り回しながら、寮の部屋に戻ってベッドに寝っ転がって彼らの歌を聴いているうちに「まてよ!?」と起き上がったのだ。

 ただし、その後に彼らはしばしの休止期間と「KUWATA BAND」やソロ活動に入る。卒業して住み慣れた盛岡を新幹線の車中から何とも言えない思いで眺めていた場面にはソロシングルの「いつか何処かで」が今もダブる。それが1988年、実質「昭和」が最後の年の春。

 で、東京にやってきていきなり赤坂で初体験のサラリーマン生活に入った頃に「デビュー10周年の復活!」とかで「みんなのうた」という、またワザと不細工で盛り上げようみたいな歌を作ってきやがったな~、とか思ったんだけど、その後のアルバムで「会いたくなった時に君はここにいない」みたいな曲を持ってこられたんで、またしんみり。

 それから5年務めた会社を辞め、アジアにバックパッカーとして旅立つ頃には「涙のキッス」がドラマの主題歌としてヒットしていたんだけど、その後に訪ねた中国や東南アジアの街角でもこの曲が盛んに流れていたのには驚いた。「国を超えてこんなに遠くの人たちにも聴かれているんだ」と。

 半年後に帰国し、期待しながら帰ってきたつもりの祖国や、改めて編集者として就職した別の出版社(宣伝会議)に心底幻滅を覚えながら憂鬱な気分で仕事をしていた私に「この国もまだ捨てたもんじゃねーぞ」と希望を与えてくれたのが「真夜中のダンディー」だった。そして数ヵ月後、私は阪神・淡路大震災やオウム事件で「自分を育ててくれた国が壊れ始めた」のを横目に1995年4月、ようやく一人の物書き、フリーランスライターとして独立した。

 だから「物書きとして誰に一番影響を受けた?」と訊かれたら、たぶん私は「桑田佳祐」や「サザンオールスターズ」って答えると思う。あるいは彼らを媒介に知ったビートルズやローリングストーンズもだけど、ジャンルも言語も全然違う人々をそうやって挙げるのは、ようするに私が物書きの癖にあんまり本を読んでないから(ただし、筒井康隆や村上春樹や宮脇俊三には高校時代から凄く影響を受けたし、子供の頃には手塚治虫や藤子不二雄を貪るように読んだけど、一昔前まではそういうことを口に出した途端に白い目で見られる風潮があったからなあ)。

 ただ、そんな私もフリーになって以降は再び「サザン離れ」するようになった。大ヒットした「TSUNAMI」(今じゃ実質的に“放送禁止歌”になってんじゃないか?)にしても「要はこれで関係者のみなさんが何年か食えるって話じゃないの?」と白い目で見てた。正直、過去のナンバーに比べて特にいい曲だとも思わなかったし。

 あと、今回の復活にしてもオリジナルメンバーで唯一脱退した大森隆志のことが全然ネグられているでしょう。まあ彼が創価学会員だったんであれこれあったとか、その後にクスリで逮捕されたとかいう話を蒸し返すのも野暮なんだけど、私としてはやっぱりそういうことがあれこれ言われても、かつて10~20代だった頃のサザンとして戻ってきて欲しかった――って、んなこといったらローリングストーンズなんかどうなんじゃい? って話だけどね(笑)。

 だからこそ今回「在特会vsしばき隊」の映像がライブで使われたとかで(本当に使われていたとしたらどんな映像だったんだろ? 私も見たかったな)ネトウヨがまた「桑田は在日だった」とか何とかネット上でヒステリックに喚いてるけど、まあこいつらは「総身に智恵が回りかね。総身の智恵もタカが知れ」の連中なんで言わせておけばいいでしょう(笑)。

 ただ、今や50代後半になった桑田さんやサザンがライブや曲を通じてそういうメッセージを発信するようになったんだとしたら、それはどんな思いからなんだろう? というのは、やっぱり気になる。

 思えば私が彼らの曲に身を浸すように聴いてた80年代の頃はそういったメッセージを歌に込めることへの抵抗感がミュージシャン側にもリスナーにもあった(団塊の世代の人たちに結構サザンへの抵抗感や嫌悪感を示す人たちが多いこととも、それは関連しているかもしれない)。

 まあ、今思えば当時は「冷戦」という名の平和な状況(裏返せばアメリカとソ連が核戦争をおっぱじめなければ大丈夫だとみんな思ってた)のもと、日本も「ジャパン as No.1」を謳歌しながらバブルに突入して行った時代だったからね。そして、そういう時代を今の多くの「ネトウヨ」連中は知らないんだろうなってことは、49歳の私に「ハゲジジイ」とかガキンチョレベルの罵言しか投げつけられないボキャブラリーの貧困さ(ようするに生活に余裕がないことで“貧すれば鈍す”に陥っているんだろうと推察するけど、違うと思ったら反論してきなさい)によるものなんじゃないかと。

 そうした時代に、はたしてサザンは何を歌うのだろう? 結局我々のような「若い頃から聴いてました!」的ファンの人たちが持つ過ぎ去りし1980年代のノスタルジーに応えながら「老後」を全うするのか。それとも「ネトウヨ」や今の社会状況、さらには海外(にも大勢いる)ファンに向けて日本から発信し続ける道を選ぶのか。

 前述のことから後者についてはあまり期待しないことにするけど、かつてあなたがたの歌に育てられた者としては、気にしておくことにするよ。“胸騒ぎの腰つき”が何時の日か、また私のもとにやってくるのかな? と。