久々に乗った。別に用事があったのではない。時折ふとこの線に乗りたくなるのである。昨日は午後、新宿に出た折に何気に思い、拝島まで往復してきた。
東京で最初に住んだのがこの沿線(西武新宿から5駅目の沼袋)で、以後、今の中央線沿線に引っ越すまでの4年間は毎日通勤で利用していた路線だから、当然愛着はある。あの当時も、休日には普段の通勤時とは反対の郊外(所沢や拝島方面)へと、用もなくぶらりと、それこそサンダル履きのまま乗り込んだものだった。岩手から東京に出てきたばかりで、都会の喧騒にあてられっぱなしだった心身を癒すべく、上井草のいわさきちひろ美術館や小平霊園、玉川上水あたりを放っつき歩きによく出かけた覚えがある。
実際そうした週末の気晴らし近郊「鉄」旅に、大ターミナルである新宿から出るこの通勤路線は意外に向いている。私が毎日利用していたのは20年も前になるけど、電車や駅の内装が新しくなってきた以外、沿線の佇まいは今も当時とあまり変わっていない。
山手線に接続する私鉄の主要幹線には珍しく、この路線は都心側から郊外まで高架の区間がほとんどなく、ひたすら地べたをのったりと走る。だからどの駅も最近の首都圏の駅によくある高架下やホーム上の駅ナカ商店区画がない。古くて狭い跨線橋やホームから改札を抜けると、猫の額みたいな駅前を出ればすぐに昔ながらの駅前商店街が連なっているといった感じの駅が多い(私の最寄りだった沼袋駅も典型的にそんな感じだった)。
今回車窓から見た感じでも、沿線の住宅街も以前とそんなに変わらない様子で、特にマンションが増えたとかいう感じにも見えなかった。
また、この路線は都心からの地下鉄路線との乗り入れも行っていない。そのせいか、山手線の内側に充満する独特な息苦しさがそのまま持ち込まれず、ターミナル側で一旦リセットされているようなところがある。
始発駅「西武新宿」もJRや京王・小田急の新宿駅から離れているためか落ち着いた佇まいだし、一駅隣りの山手線や地下鉄東西線との乗り換え駅「高田馬場」も、早稲田大学最寄りの学生街へと続く商店街があることを除けば、基本的に地味な駅だ。
というか、まあ全体的にこの線には「下落合」だの「沼袋」だの「田無」だの名前からして地味な駅が多く、他の通勤路線によくある「○○台」「△△が丘」「××平」といった晴々しい駅名が見当たらない。ようするに戦前から下町や郊外都市を結ぶ路線として機能していたぶん、戦後の沿線におけるニュータウン開発というのが、東急や京王あたりに比べてあんまり進まなかったのだろう。
一方で、新宿や高田馬場から急行で10分の鷺ノ宮(中野区内)をすぎると、この路線の車窓には早くも畑や木立などの郊外風景が広がる。ただ、その先の沿線主要駅・所沢や川越などの埼玉県西部の主要都市まで乗り通す客は、他に都心から早く行ける路線があることもあってか、そんなに多くなさそうだ。
だから平日朝の通勤時間帯の混雑も、それこそ首都圏の最混雑路線といわれる埼京線や田園都市線あたりにくらべればそんなに大したものではない。私も通勤に使っていた時代、毎朝に同じ電車に乗り合わせる、顔立ちの整った女子高校生の座った位置を確認するぐらいの余裕があった。って誤解すんなよ。すっかりオッサンになった今と違い、当時の私はまだ20代前半だったんだからな。まあ、一回、たまたま隣の席に座れた時、向こうが居眠りしつつ(?)に黒髪の頭を私の肩に無造作にもたせかけてきたのに至福の思いをしたことはありましたけど。
ともあれ、西武新宿線という路線は「昭和」時代の東京の私鉄路線の雰囲気を今なお濃厚に伝えてくれる、ある意味で貴重な存在なのかもしれない。
ただ、かつてバブル期には「新宿から郊外まで急行電車用の地下新線を作る」なんて話もあったし(結局挫折)、高田馬場で接続する地下鉄東西線との乗り入れ構想は今も燻り続けている。また、中野区内の「開かずの踏切」解消に向けて一応「立体交差化」への動きも始まったというのだけど……。
さらにまた20年後、はたして西武新宿線がどんな様相になっているかはわからない。ただ、その頃にまた、60代半ばになった私が西武新宿線に乗っている光景は……正直、あまり想像したくない。
だって、今回も乗ってる最中に目の前で盛んにおしゃべりしていた女子高生3人組を見ながら、ふと「もしかして俺が昔、毎朝この線を使ってた頃に気になってたあの子の『娘』世代か?」と思っちゃったんだからな。せめて、この子たちの「娘」というか「孫」世代に車中で会うまで長生きしたくないなと思った次第(苦笑)。ではでは
東京で最初に住んだのがこの沿線(西武新宿から5駅目の沼袋)で、以後、今の中央線沿線に引っ越すまでの4年間は毎日通勤で利用していた路線だから、当然愛着はある。あの当時も、休日には普段の通勤時とは反対の郊外(所沢や拝島方面)へと、用もなくぶらりと、それこそサンダル履きのまま乗り込んだものだった。岩手から東京に出てきたばかりで、都会の喧騒にあてられっぱなしだった心身を癒すべく、上井草のいわさきちひろ美術館や小平霊園、玉川上水あたりを放っつき歩きによく出かけた覚えがある。
実際そうした週末の気晴らし近郊「鉄」旅に、大ターミナルである新宿から出るこの通勤路線は意外に向いている。私が毎日利用していたのは20年も前になるけど、電車や駅の内装が新しくなってきた以外、沿線の佇まいは今も当時とあまり変わっていない。
山手線に接続する私鉄の主要幹線には珍しく、この路線は都心側から郊外まで高架の区間がほとんどなく、ひたすら地べたをのったりと走る。だからどの駅も最近の首都圏の駅によくある高架下やホーム上の駅ナカ商店区画がない。古くて狭い跨線橋やホームから改札を抜けると、猫の額みたいな駅前を出ればすぐに昔ながらの駅前商店街が連なっているといった感じの駅が多い(私の最寄りだった沼袋駅も典型的にそんな感じだった)。
今回車窓から見た感じでも、沿線の住宅街も以前とそんなに変わらない様子で、特にマンションが増えたとかいう感じにも見えなかった。
また、この路線は都心からの地下鉄路線との乗り入れも行っていない。そのせいか、山手線の内側に充満する独特な息苦しさがそのまま持ち込まれず、ターミナル側で一旦リセットされているようなところがある。
始発駅「西武新宿」もJRや京王・小田急の新宿駅から離れているためか落ち着いた佇まいだし、一駅隣りの山手線や地下鉄東西線との乗り換え駅「高田馬場」も、早稲田大学最寄りの学生街へと続く商店街があることを除けば、基本的に地味な駅だ。
というか、まあ全体的にこの線には「下落合」だの「沼袋」だの「田無」だの名前からして地味な駅が多く、他の通勤路線によくある「○○台」「△△が丘」「××平」といった晴々しい駅名が見当たらない。ようするに戦前から下町や郊外都市を結ぶ路線として機能していたぶん、戦後の沿線におけるニュータウン開発というのが、東急や京王あたりに比べてあんまり進まなかったのだろう。
一方で、新宿や高田馬場から急行で10分の鷺ノ宮(中野区内)をすぎると、この路線の車窓には早くも畑や木立などの郊外風景が広がる。ただ、その先の沿線主要駅・所沢や川越などの埼玉県西部の主要都市まで乗り通す客は、他に都心から早く行ける路線があることもあってか、そんなに多くなさそうだ。
だから平日朝の通勤時間帯の混雑も、それこそ首都圏の最混雑路線といわれる埼京線や田園都市線あたりにくらべればそんなに大したものではない。私も通勤に使っていた時代、毎朝に同じ電車に乗り合わせる、顔立ちの整った女子高校生の座った位置を確認するぐらいの余裕があった。って誤解すんなよ。すっかりオッサンになった今と違い、当時の私はまだ20代前半だったんだからな。まあ、一回、たまたま隣の席に座れた時、向こうが居眠りしつつ(?)に黒髪の頭を私の肩に無造作にもたせかけてきたのに至福の思いをしたことはありましたけど。
ともあれ、西武新宿線という路線は「昭和」時代の東京の私鉄路線の雰囲気を今なお濃厚に伝えてくれる、ある意味で貴重な存在なのかもしれない。
ただ、かつてバブル期には「新宿から郊外まで急行電車用の地下新線を作る」なんて話もあったし(結局挫折)、高田馬場で接続する地下鉄東西線との乗り入れ構想は今も燻り続けている。また、中野区内の「開かずの踏切」解消に向けて一応「立体交差化」への動きも始まったというのだけど……。
さらにまた20年後、はたして西武新宿線がどんな様相になっているかはわからない。ただ、その頃にまた、60代半ばになった私が西武新宿線に乗っている光景は……正直、あまり想像したくない。
だって、今回も乗ってる最中に目の前で盛んにおしゃべりしていた女子高生3人組を見ながら、ふと「もしかして俺が昔、毎朝この線を使ってた頃に気になってたあの子の『娘』世代か?」と思っちゃったんだからな。せめて、この子たちの「娘」というか「孫」世代に車中で会うまで長生きしたくないなと思った次第(苦笑)。ではでは