しかしヘソマガリなものだから、やはり書きたくなってしまうのである。例のNHK大津放送局記者の放火未遂容疑逮捕についてだ。
まさに火のないところに煙(というのか火そのもの)を立ててしまったらしいこの記者さんだが、これまでの報道を読んだ限りでは、どうも「記事ネタ作りのために火事を自作自演した」とかいうことではなさそうだ。基本的には彼自身が抱えていたストレスが、放火を働くきっかけになったらしい――というぐらいのことしか、現時点ではつかみ取ることができない。
もとより、それこそ浅野健一さん並みの原則主義に立てば(笑)、逮捕されただけで現時点では起訴すらされていない彼に対しては「推定無罪」の原則からも目下の報道はおかしい――ということになるのかもしれない。私自身は必ずしもそうした原則主義にこだわるものではない(まあでも各紙とも「放火未遂事件」とか一応断りつつも「連続11件の放火事件を認める供述をした」とかいう警察情報の垂れ流しを例によってやってますが、これも一種の「警察の言う通りに書いておけばとりあえず間違いない」という原則主義だろう)が、とはいえ今の時点であんまりあれこれ細かいところまで推測で論評するのもどうかな、という気はする。
確かにNHKはこのところ不祥事続きだし、その背景にある体質については私自身も思うところはあるのだが、今回の事件とそれらとの関連性については未だわからない。というか、事実関係がしっかり検証されてから言えばいい話だろうと思うんだが。
というか、それ以前に、である。こういうメディア関係者の絡む事件が起こった際にはいつも思うことなのだが、今の段階でどうしてNHKの会長やら支局長が、わざわざ記者会見や番組に出てきて頭を下げなきゃならんのか?
確かに、NHKの記者という本人の属性や、彼自身の仕事である取材活動との絡みでこういう事件が起きたのだとすれば、会社側が謝罪するというのはわからなくもない。けれども、ここまでの報道を見る限りでは、どうもこれはあくまで記者個人のプライベートに属する事柄なのではないかという印象も受ける。もちろん、職場環境に起因するストレスが事件のきっかけになったのではないかとも言われているわけだが、それはそれでNHK自身がよく反省のうえで原因を究明し、改めるべきを改めていけばよい話なのであって、今のうちから世間に向かって「すみませんでした」などとトップが頭を下げるというのは、一見誠実であるかのように見えて、実は全然中味が伴っていないよ。
(と、ここまで書いたところで、さっき何気に滝本さんのブログを見たら――おお、合ってんじゃん! この件じゃ珍しく私と見解が(笑))。
にも拘らず、みんな言いたがるんだよね~「またNHKが!」ってさ。
まあ、この間のNHKをめぐるゴタゴタを思えば、今回のことでNHKがああいうふうに言われたり、あるいは外野がああいうふうに言いたくなるというのは、ある程度仕方ないかなというところはある。
とはいえですよ、もし容疑者が報道関係者以外のごく普通のオッサンとかだったら記事もあんなにデカデカと出ることはなかっただろうし、報道関係者だったとしても、例えばそれが――勝手に例に引き出して申し訳ないが――KBSとかびわ湖放送の社員だったとしたら、たぶんこういう騒がれ方にはならなかっただろう。
朝日新聞の記者だったら似たような騒ぎになっただろうな、とは思う。なぜなら今年に入ってからは例の「朝日vsNHK」という、誰かさんの大嫌いな「二項対立」キャンペーン型報道が延々続いてきたわけで、その図式に落とし込んでしまえば読者や視聴者ウケのよいネタが「一丁あがりぃ!」でこしらえられるからだ。
というかですね。この話題がここまで大きく取り上げられる理由って、たぶんそれ以外にはないよ。
だってKBSやびわ湖放送(何度も引き合いに出してごめんなさい)はもとより、これをやったのが他の全国メディアの記者だったとしても、こうはなるまいよ。
なぜなら「記者が放火未遂をやった」からといって読売新聞を批判しても意味がないし、産経新聞を批判しても仕方ないし、毎日新聞を批判しても忍びないし、日経新聞を批判してもつまらないし、その他地方紙やら何やらを批判しても面白くも何ともないからである。
そもそもNHKとか朝日新聞なんてのは批判されるからこそNHKであり、朝日新聞なのであって、その二者をして「朝日vsNHK」なんて対立図式がさも根強くあるかのように巷のバカどもが持ち上げるというここ1年ぐらいの状況を、私自身は「なーに言ってんだかな~」と醒めた目で眺めていたものである。批判するなら無理にどっちかの肩を持つまでもなく、両方とも遠慮せずにどんどん叩けばよいのだ。
その意味で、読みながら「こりゃ卑怯だな」と思ったのが例えば6日付の読売新聞に載った以下のような記事だ(一部引用)
> この主婦は「まさか、あの人が逮捕されたとは……」と驚き、
>「発生直後は(放火が相次いだ)週末が来る度、恐ろしくて
>眠れない日々が続いた。(不祥事続きの)NHKは何か体質的に
>問題があるのではないか」と憤っていた。
> 5月15日に自宅外壁のポスターを燃やされた無職女性(69)は
>「仕事上のストレスか、うっぷんをはらすためだったのだろうか」
>と首をかしげていた。
> 自治会役員を務める宮川進さん(75)は「現職記者が逮捕される
>なんて。最近、報道機関に問題が多いのではないか。社会正義を第一と
>すべき報道機関と関係者には、自戒を求めたい」と強い口調で話した。
取材を通じてそういうコメントが実際に得られたのだろうし、それぞれコメントされている方々がそうおっしゃること自体は、別に不自然なことではない。けれども、これってメディア側が記事の論調を自分の思い描く方向へ持っていくための補強材料として恣意的にピックアップしてきたというあたりが見え見えである。「社会正義を第一とすべき報道機関と関係者には、自戒を求めたい」なんてのは、一般の人のコメントを借りてくるより前に、まずはテメーの言葉で言えよな。
ちなみに「社会正義を第一とする報道機関と関係者」って言い切り方にも、実は個人的には違和感を持ったりした次第だ(別に「反社会的を第一とする報道機関と関係者」がどこかにいてもいいと私自身は前々から思っているので)。それに「放火をしないように」との自戒が必要なのは、何も報道関係者に限った話ではないだろう。
毎度こういう話になると長くなるなあ……。でも、結構あっという間に書いちゃったけど。
まさに火のないところに煙(というのか火そのもの)を立ててしまったらしいこの記者さんだが、これまでの報道を読んだ限りでは、どうも「記事ネタ作りのために火事を自作自演した」とかいうことではなさそうだ。基本的には彼自身が抱えていたストレスが、放火を働くきっかけになったらしい――というぐらいのことしか、現時点ではつかみ取ることができない。
もとより、それこそ浅野健一さん並みの原則主義に立てば(笑)、逮捕されただけで現時点では起訴すらされていない彼に対しては「推定無罪」の原則からも目下の報道はおかしい――ということになるのかもしれない。私自身は必ずしもそうした原則主義にこだわるものではない(まあでも各紙とも「放火未遂事件」とか一応断りつつも「連続11件の放火事件を認める供述をした」とかいう警察情報の垂れ流しを例によってやってますが、これも一種の「警察の言う通りに書いておけばとりあえず間違いない」という原則主義だろう)が、とはいえ今の時点であんまりあれこれ細かいところまで推測で論評するのもどうかな、という気はする。
確かにNHKはこのところ不祥事続きだし、その背景にある体質については私自身も思うところはあるのだが、今回の事件とそれらとの関連性については未だわからない。というか、事実関係がしっかり検証されてから言えばいい話だろうと思うんだが。
というか、それ以前に、である。こういうメディア関係者の絡む事件が起こった際にはいつも思うことなのだが、今の段階でどうしてNHKの会長やら支局長が、わざわざ記者会見や番組に出てきて頭を下げなきゃならんのか?
確かに、NHKの記者という本人の属性や、彼自身の仕事である取材活動との絡みでこういう事件が起きたのだとすれば、会社側が謝罪するというのはわからなくもない。けれども、ここまでの報道を見る限りでは、どうもこれはあくまで記者個人のプライベートに属する事柄なのではないかという印象も受ける。もちろん、職場環境に起因するストレスが事件のきっかけになったのではないかとも言われているわけだが、それはそれでNHK自身がよく反省のうえで原因を究明し、改めるべきを改めていけばよい話なのであって、今のうちから世間に向かって「すみませんでした」などとトップが頭を下げるというのは、一見誠実であるかのように見えて、実は全然中味が伴っていないよ。
(と、ここまで書いたところで、さっき何気に滝本さんのブログを見たら――おお、合ってんじゃん! この件じゃ珍しく私と見解が(笑))。
にも拘らず、みんな言いたがるんだよね~「またNHKが!」ってさ。
まあ、この間のNHKをめぐるゴタゴタを思えば、今回のことでNHKがああいうふうに言われたり、あるいは外野がああいうふうに言いたくなるというのは、ある程度仕方ないかなというところはある。
とはいえですよ、もし容疑者が報道関係者以外のごく普通のオッサンとかだったら記事もあんなにデカデカと出ることはなかっただろうし、報道関係者だったとしても、例えばそれが――勝手に例に引き出して申し訳ないが――KBSとかびわ湖放送の社員だったとしたら、たぶんこういう騒がれ方にはならなかっただろう。
朝日新聞の記者だったら似たような騒ぎになっただろうな、とは思う。なぜなら今年に入ってからは例の「朝日vsNHK」という、誰かさんの大嫌いな「二項対立」キャンペーン型報道が延々続いてきたわけで、その図式に落とし込んでしまえば読者や視聴者ウケのよいネタが「一丁あがりぃ!」でこしらえられるからだ。
というかですね。この話題がここまで大きく取り上げられる理由って、たぶんそれ以外にはないよ。
だってKBSやびわ湖放送(何度も引き合いに出してごめんなさい)はもとより、これをやったのが他の全国メディアの記者だったとしても、こうはなるまいよ。
なぜなら「記者が放火未遂をやった」からといって読売新聞を批判しても意味がないし、産経新聞を批判しても仕方ないし、毎日新聞を批判しても忍びないし、日経新聞を批判してもつまらないし、その他地方紙やら何やらを批判しても面白くも何ともないからである。
そもそもNHKとか朝日新聞なんてのは批判されるからこそNHKであり、朝日新聞なのであって、その二者をして「朝日vsNHK」なんて対立図式がさも根強くあるかのように巷のバカどもが持ち上げるというここ1年ぐらいの状況を、私自身は「なーに言ってんだかな~」と醒めた目で眺めていたものである。批判するなら無理にどっちかの肩を持つまでもなく、両方とも遠慮せずにどんどん叩けばよいのだ。
その意味で、読みながら「こりゃ卑怯だな」と思ったのが例えば6日付の読売新聞に載った以下のような記事だ(一部引用)
> この主婦は「まさか、あの人が逮捕されたとは……」と驚き、
>「発生直後は(放火が相次いだ)週末が来る度、恐ろしくて
>眠れない日々が続いた。(不祥事続きの)NHKは何か体質的に
>問題があるのではないか」と憤っていた。
> 5月15日に自宅外壁のポスターを燃やされた無職女性(69)は
>「仕事上のストレスか、うっぷんをはらすためだったのだろうか」
>と首をかしげていた。
> 自治会役員を務める宮川進さん(75)は「現職記者が逮捕される
>なんて。最近、報道機関に問題が多いのではないか。社会正義を第一と
>すべき報道機関と関係者には、自戒を求めたい」と強い口調で話した。
取材を通じてそういうコメントが実際に得られたのだろうし、それぞれコメントされている方々がそうおっしゃること自体は、別に不自然なことではない。けれども、これってメディア側が記事の論調を自分の思い描く方向へ持っていくための補強材料として恣意的にピックアップしてきたというあたりが見え見えである。「社会正義を第一とすべき報道機関と関係者には、自戒を求めたい」なんてのは、一般の人のコメントを借りてくるより前に、まずはテメーの言葉で言えよな。
ちなみに「社会正義を第一とする報道機関と関係者」って言い切り方にも、実は個人的には違和感を持ったりした次第だ(別に「反社会的を第一とする報道機関と関係者」がどこかにいてもいいと私自身は前々から思っているので)。それに「放火をしないように」との自戒が必要なのは、何も報道関係者に限った話ではないだろう。
毎度こういう話になると長くなるなあ……。でも、結構あっという間に書いちゃったけど。