昨日の午後、急に用事ができたんで赤坂まで行ってきました。赤坂東急のレストランで打ち合わせした後、一ツ木通り周辺をしばし散策。ちょくちょく来てはいる場所なんだけど、すんげえ懐かしいな。
というのも、岩本が大学新卒で最初に勤めた会社というのが赤坂の一ツ木通りから少し脇道に入ったところにあったんですよ。
岩手の盛岡でちゃらんぽらんな学生生活をしていた私が卒業後、取りあえず(今で言うところの)フリーターをやるつもりで上京。2日後、近所の駅の売店で買った新聞の求人広告に「月刊誌記者見習募集」とか出ているのを見てアルバイトと勘違いし、ジーパン姿&アポなしで尋ねていった会社で、ほとんどヤクザのような風体の社長から「明後日からスーツ着て朝9時に来い」と言われたのが、私の物書き稼業の出発点だったんです。時に1988年の3月末の話。
あの頃の赤坂は、若造の私には何ていうか「大人の街」に見えたなあ。
ちょうどバブルの真っ盛りの頃だったんだけど、赤坂は地上げが失敗したらしくて、古くからの商店や料亭やらが路地裏に結構残っていて、そういうところの女将さんやら板前さんやらが一ツ木通りを肩で風切るように歩いていったりするのを「いなせだなあ」とか思いながら見てました。ただ、当時あのへんにはCVSどころか吉野家も出店できなかったんだよね。つい先日まで盛岡の大学の学食で270円の定食を食ってた私は「えー、ランチが500円、たけーよ!」って言いながら安い定食屋さがしに奔走していたものでした。
そんな街で私は、23歳から28歳までの5年間をサラリーマンとして過ごした。西暦で言えば1988年から1993年。ちょうどバブルで絶頂を極めた日本が、ガタガタと階段を転げ落ち始めた(当時は誰もそのことに気づかなかった)時代。
今や一ツ木通りにはampmやらローソン、吉野家が軒も連ねるありさま。TBSも通り沿いの旧本社を取り壊して目下建て替え工事中だったけど(なんか銀行に「建て替えなさい」とか言われたのが理由らしいけど)、若き岩本にとって「大人の街」に見えた赤坂も、だんだんショボくなっちゃってるなと、なんだか切ない思いを抱きながら、久々に通りを歩いた次第。
というのも、岩本が大学新卒で最初に勤めた会社というのが赤坂の一ツ木通りから少し脇道に入ったところにあったんですよ。
岩手の盛岡でちゃらんぽらんな学生生活をしていた私が卒業後、取りあえず(今で言うところの)フリーターをやるつもりで上京。2日後、近所の駅の売店で買った新聞の求人広告に「月刊誌記者見習募集」とか出ているのを見てアルバイトと勘違いし、ジーパン姿&アポなしで尋ねていった会社で、ほとんどヤクザのような風体の社長から「明後日からスーツ着て朝9時に来い」と言われたのが、私の物書き稼業の出発点だったんです。時に1988年の3月末の話。
あの頃の赤坂は、若造の私には何ていうか「大人の街」に見えたなあ。
ちょうどバブルの真っ盛りの頃だったんだけど、赤坂は地上げが失敗したらしくて、古くからの商店や料亭やらが路地裏に結構残っていて、そういうところの女将さんやら板前さんやらが一ツ木通りを肩で風切るように歩いていったりするのを「いなせだなあ」とか思いながら見てました。ただ、当時あのへんにはCVSどころか吉野家も出店できなかったんだよね。つい先日まで盛岡の大学の学食で270円の定食を食ってた私は「えー、ランチが500円、たけーよ!」って言いながら安い定食屋さがしに奔走していたものでした。
そんな街で私は、23歳から28歳までの5年間をサラリーマンとして過ごした。西暦で言えば1988年から1993年。ちょうどバブルで絶頂を極めた日本が、ガタガタと階段を転げ落ち始めた(当時は誰もそのことに気づかなかった)時代。
今や一ツ木通りにはampmやらローソン、吉野家が軒も連ねるありさま。TBSも通り沿いの旧本社を取り壊して目下建て替え工事中だったけど(なんか銀行に「建て替えなさい」とか言われたのが理由らしいけど)、若き岩本にとって「大人の街」に見えた赤坂も、だんだんショボくなっちゃってるなと、なんだか切ない思いを抱きながら、久々に通りを歩いた次第。