ということで書こうと思ったら--また大地震だ。少なくともニュース的には“10周年”はすっかり飛んでしまった格好だ。
(と、言いつつ私も叔父と叔母が福岡にいるので、そちらのほうが気になっている。ここ数年、仕事や何やらで九州には行く機会が多かったし、見知った人々の顔も脳裏に浮かび、気がかりだ)

 時は止まってくれない。しかも、前に向かってしか進んでくれない。
「ちょっと待ってくれ」と声をかけ、降り積もったホコリを払おうとする間もなく、次から次へとどんどん新たに降り込んできては、過去の記憶をたちまち古い地層の奥へと葬り去ってしまう。

 前夜祭(?)にあたる昨日は、内幸町のプレスセンターホールで「『あれから10年』~地下鉄サリン事件の被害者は今~」という集会があった。原稿も抱えていたし、私が今さらノコノコ顔を出すのもどうかなとの思いもあったが、とはいえまるっきりスルーするのも逆によくないなという気もしたので、まずは足を運ぶことにした。

 詳しい内容については新聞などにも出ているので省略。基本的に今回は高橋シズヱさんがある意味“主役”で、壇上には木村晋介さんや滝本太郎さん、私と割に近い席には江川紹子さん(あくまで一取材者として参加してるというスタンスなのか会場の一番後方の席に座っていた)、「家族の会」の永岡弘行さん、そして河野義行さん--という具合に、この問題絡みで著名な関係者は(当の教団関係者以外は)ほぼ顔を揃えていた。

 もっとも、開始時刻に数分遅れて汗をかきながら会場に入った私は、プレスセンター10階の広いホールに、むしろ空席のほうが目立つような聴衆の入りを見るにつけ、複雑な思いを覚えざるを得なかった。さすがにテレビ局の取材チームはひと通り来ていて、会場の後ろにズラリと三脚が並んだりはしていたのだが、途中の休憩時間が終わって第二部が始まる頃になると、彼らは忽然と姿を消してしまっていた。

 確かに「9.11」被害者支援にあたっている関係者を呼んでの第一部も興味深い内容が多々あったけど、主催者とすれば「今、サリン被害者に必要なこと」と題された第二部のほうこそメディアの人間にもきっちり取材してもらいたかったんじゃないかと思う。このへんに問題の当事者とメディアの側のズレがあるような気はした。

 たぶん多くのメディアの人間にとって、ニュースの話題としてのオウム問題を扱ううえで「今、サリン被害者に必要なこと」はそんなに重要ではないのだ。彼らにとっては「獄中の麻原は今どうしてるか」とか「上祐失脚後の教団内の権力構造はどうなっているか」とか「逃走中の菊地直子や平田悟は今どこにいるのか」というのが「オウム問題」なんであって、この日の集会などは一つのお約束行事といった感じでしかとらえていないのだろう。だから、一通り会場の風景を撮り、休憩中のロビーで関係者のインタビューをいくつか抑えるや、夕方や夜のニュースの編集もあるんで・・・てなことでさっさと帰ってしまったんではなかろうか。

 集会は、もっぱら国に対してサリン被害者への補償やケアなどの施策の充実を求めるというトーンで進められた。これもマスコミ的にはあんまり話題として面白くなかったのかもしれない。オウム関連の集会といえば、少し前ならば「オウム反対!」をみんなで一致団結して叫ぶといった絵柄がお約束としてあったからだ。

 とはいえ、被害者側の方々からすれば今なお教団が残っていることには腸が煮えくり返る思いはありこそすれ、なおも続く苦しみへの償いがまるで期待できない現在の教団などを相手にアレコレ言っているよりは、国に対してしっかりとした補償を求めたいというのが切実な思いであるに違いない。

 そんなわけで集会は静かに、穏やかな雰囲気の中で終わった。少し離れた席にいた磯貝さんには目であいさつはしたけれど、それ以外はほとんど誰にもあいさつせず、終わった後にはすぐに帰った。オウム問題関係者はそれぞれの間で、みな結構複雑な事情を抱えている。こういう席で下手に動き回って、座を乱すようなことはしたくないし、この日は参加者の一人としておとなしく話を聞くにとどめた次第だ。
(この項つづく、かな?)