いつの日か。

食べるために生きる事が

生きるために食べる

へと変わる日が来る。


いつの日か。
戦争時代を過ごした祖父たちと同じように
希望を夢に見て、与えられた僅かな食料を食べて生きてく日が来るだろう。

薬もなく。道端に生える草花を食べて
生きながらえる日が来るだろう。

最近で、スーパーで購入した商品でも味も変わっていたり、喉が痛くなったりと、どんどん成分も変わってくる。

それでも、私は食べることが好き。
生きる事が。与えられた時を精一杯に生きて
あちらへと向かうこと。

それが、約束。


与えられた時を、どう生きてくのかは
人それぞれ。

でも、私はを存分に満喫したい。

もしも、食料や生きることに困難となる時を迎えた時には
今を思い出して、味を思い出して
共に這いつくばって生きる方に届けたい。

砂糖もなくとも。お醤油がなくとも。

生きる事の楽しみ。そして、心の喜びとは
仏陀様のように、修行でもなく、生きる事とは
思いやりの温かさと、ミルク粥を食べた時の
喉を潤す、お腹と心を満たす
食だと感じてます。

今の世の中とは、健康志向ですが
私から見れば、健康も良いのですが
生きるためにという、荒行に感じてしまうのです。

修行や荒行等とは、瞑想でも、滝行でもなく
生きる事こそが、修行。
良く聴く言葉ですよね。

でも、生きる事が1番の荒行であり、修行でもあります。

瞑想は、己が行いたい時に行い
滝行も、自ら進んで行う修行であり、鍛錬。

でも、生きる事とは、様々なる人間関係や社会。
家族や友人。様々なる言の葉に悩まされたり、病におかされたり、怪我をしたり、突然の別れや、自然災害に事故など苦悩が

これでもかっ!
これでも、まだ足りぬのかっ!

と、いうふうに、次々と起こる。

右を見れば、悲しみを抱えながらも
乗り越えている人。

左を見れば、突然の別れを受け入れる事が出来ずに
自らも生きる事を諦めそうになりながらも、踏ん張って生きている。

その苦悩の渦巻く中で、私たちは生きている。


人間には味覚、視覚、嗅覚、食感
等、感覚でモノを判断し、己にしかない感覚を受けて脳と思考が潤う生物だと私は考えてるので
どんなに辛い事があっても、懐かしい味、香りを感じると、思い出と共に、その時の幸せだった事を思い出す。



不思議な事もあるもんで
戦時中に食べた味、食べ物を求める方も存在する。

辛い時代、辛い思い出しか無かった筈なのに
食べたくなるそう。



人間とは
懐かしさと思い出を蘇らせ、懐かしい味。
懐かしい食事を無意識に求め、無性に食べたくなる。

どんなに苦い思い出であっても…。




未来がもし、あるのであれば
唐揚げという食べ物があったんだよ。
とっても美味しいんだよ✨

今、あなたたちが食べているサプリメントの味じゃなく

お野菜も、お肉もお魚も。
水も、お菓子も
みんな、とっても美味しかったんだよって。

お煎餅って、噛んだら
バリボリと音がして、硬いけど美味しいんだよって。



今、私たちが食べている食事とは、いつかは消えるだろう。

縄文時代の方が食べていた
どんぐりのお菓子も現代で、ごく一部だけれど
文献を読み、再現されたりもした。

いつの日か。
今、私たちが食べている食事を
未来の方々に食べて欲しい。

どんな感想なのだろうって。
そして、サプリメントから
お野菜へ。お肉へ。お魚へと
身体を人工的に動かす栄養素ではなく

美味しく食べて笑顔になる食文化へと
なって欲しいな照れ




それでは✨