「北沢楽天おもしろ武勇伝」の講演を終えての徒然。 !ここだけの話。 | あらい太朗(郎でも可)は大丈夫か

あらい太朗(郎でも可)は大丈夫か

あらい太朗(郎でも可)のブログ。冬に死なないキリギリスを目指す筆者の暮らしを綴る。


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この1カ月余り、楽天先生にどっぷりだったので、
なんだか明治、大正、昭和と、楽天先生と一緒に生きたような錯覚に陥ってしまった。

いろいろ調べる中で、僕がリアルタイムで感じた楽天への感動を、
果たしてどうしたらお客さんにも同じように伝えられるかという事に悩んだ。

僕は人から本やら映画やら料理やらを「勧められる」のが苦手です。

「良かったから読んで」「見て」「食べて」っていうのは、なんだか、ね。
もちろんシチュエーションとか言われ方にもよるけど。

特に、勧められる時に相手のテンションと自分のテンションがずれてると、なんか萎える。

後で「どうだった?」と聞かれて「悪かった」とは言えないし、「良かった」というのも何だか失礼というか、伝え切れないというか。「プレッシャーかけんなよ」みたいな。

だから、「僕が感動した北沢楽天をあなたに」っていうのはダメだと思った。
押し付けたら萎えます。

でも伝えたい。伝えねばならぬ。
だってエラく感動しちゃったのだから。

この辺のジレンマ。

本番まで残された時間、本業とのやりくり、お客さん集め、台本作り、作曲、家族の事、などなど、諸々がいっぺんに襲いかかってきて、1週間という単位があっという間にざくざくと繰り返された。汗をかいた。

でもやっぱり、楽しかった。

で、諸々をかいくぐり、本番を迎えた。
久々に「必死」だった。

ツイッターには直後に書いたが、「現段階で望み得る最良の出来」だったと思う。

生意気にも、本番を終えたプロがよくかかる、なんというか「反動からくる鬱」みたいなものに襲われたけれど、
そんな思いに浸り込む間もなく、やり残しの仕事やら新たな仕事やらが上手い具合に押し寄せて来てくれて、気持ちを前に進ませてくれた。

今回の講演で、僕は楽天先生の顕彰の、本当のスタートを切ったと自覚しています。

なにより「己を見つめ直す」よい機会であったとも思っている。
でもね、そういう事はあまり他では言わない事にします。
「オレ、ひと皮剥けたろ、見て」っていうのは、やっぱり押し付けがましいから。

だからね、ここだけの話です。


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