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現在手術後8週間。
今でも時々考えることがあります。
『あの時、私が最初の担当医にあの質問をしていなければ・・あるいは担当医があの回答をしてなければ、私はあのままその担当医に手術をしてもらっていたかもしれない。』
・・・はい。
担当医との間に温度差を感じ始め、自問自答の沼にはまり込んだ私は、結果的に病院を変えました。
最初の担当医に正式に肩腱板断裂の診断をいただいてから転院を決めるまで、5週間という時間がありました。
何故に私はそんなに悩むことになったのか。
提示された次の診察が1ヶ月以上先であったこと以上に、温度差が生じるきっかけとなる会話がありました。
それがこの投稿の冒頭の、私とドクターとの質疑応答のことです。
腱板断裂診断を受けた日の翌週に、日程の相談で伺った際のこと。
『先生、手術で腱板を治していただいて、自分でリハビリとかを頑張ったとして、私はまた泳げるようになる可能性はあるんですか?』
と医師に尋ねました。
それに対しての医師の回答が、これ⬇︎
『あ〜、ゴルフやってる人いますよ。』
・・・受け取り方、解釈のしかたは様々かと思うのですが。
水泳の話に対してゴルフで返す。
正直なところ、この回答は、私には思いっきりNGでした。
この時点で、私は、今すぐこの医師が私の担当をやめるって言ってくれたらいいのに、と考えました。
が、そんな気配はなし。(当然ですな。)
もう日程とか決めたし、決して悪い印象の先生ではないし、きっと頭の中では色々真面目に考えてくれての返事に違いないとかって自分に言い聞かせ始めます。
自問自答の始まり。
自分の中で、自分Aと自分Bが問答を始めました。
自分A 『ねぇ、先生変えたほうが良くないかね。』
自分B 『そんな気がするけど・・・でもさ、同じ病院の中で違う先生に変えると何かとやりにくくなりそーじゃん。それにこの病院は家から来やすいから、入院中とか術後とかに色々やってもらうことになる家族のことを思うとこの病院がいいんだよね。』
自分A 『それはわかるけど、でも、もし今、良い医師とか病院の情報を誰かが自分にくれたら、とりあえず行ってみるんだけどなって、誰かがその情報をくれないかなって、既に思ってるよね?』
自分B 『んー確かに。でも、この近辺のお医者さんで、決定的にここがいいって話、全然入って来ないじゃん。きっとどこに行っても同じような感じだろうなって思ってるのも確かでしょ?もっとひどいケースもあるかもよ。とりあえずこの担当の先生が感じのいい先生なんだから、それで充分じゃん?』
てな感じですね😅
自分としては、もしやこの担当医の思う治療のゴールは、日常生活が無難にできる回復までなのだろうかっていう可能性をすごく恐れていました。
手術をして1年後に
『動かすと肩が痛くて泳げません。』
『とりあえず日常生活に支障がないことが手術の目的です。』
ってなってしまったら、それは私の望むゴールではありません。
だったら、もっときちんと情報を集めて、患者である自分が見据えているゴールを理解してくれる医師を探すのが、運動指導者である自分の責任なんじゃないかと考え始め。
でも、その担当医がそのことをきちんとわかってくれているならば、私は悩まなくてもいい。
だから質問をしてみたんだけど、見極めきれないあのような答えを返されてしまった・・・。
どうしようどうしようって、ずっと考えていたのがこの期間です。
うなだれる骨格標本。
気持ち的には↑こんな感じ
ほんと、どうしようどうしようって、数週間、ずーっと考えてましたね。
(↑同じことを2回書いてしまうくらい悩んでました。)
他にお医者さんを探すにしても、ネットで探すのはピンとこない。
私の場合、トレーナーチームの仲間や、その気になれば、ご教授いただいている理学療法士の先生から情報をいただくこともできないこともない。
でも、それに頼る前に、担当医となったこの医師に歩み寄っていくことをまずは試みました。
その一方で、こんな考え。
『自分にとってのもっと良いご縁があれば、良い先生の情報は向こうからヒントがやってくるはずだ。』
です。果報は寝て待て、です。
どうしようどうしようって考えながら、
担当医に歩み寄ろうと考えつつ、
とりあえず果報を寝て待つ。
(どこか矛盾しているあたり、自分でわかってます。こんなんだから、よけいに、どうしようどうしようって悩んじゃったのかもしれませんね!)
歩み寄ってみてどうだったのか。
果報はやってきたのか。
話の展開はまた今度に!
最後までお読みいただきありがとうございました😌