ご存じ、あさのあつこさん著の

「弥勒シリーズ」

 

つい先日、ほんとーーーに久しぶりに

10作目になる最新刊「花下に舞う」を

読んだのですが…

 

 

※間違いでしたっ!!

最新刊は「乱鴉(らんあ)の空」

でもまだ文庫化されてないので

手が出せてない凹(けち)※

 

で、10作目を読んだはいいけど…

いやいや驚いたーーー!

 

ナニにって、

 

いやぁ~~なーーんも

このシリーズのあれやこれやを

覚えてない凹凹凹

 

あんなに一時期ドはまりしたのに。

 

「遠野屋さーーん♪」

「木暮さまーーー♪」なんて

熱に浮かされたみたいに

ずーーっとホゲェ~って

妄想してたのに・・・

(↑へんしつしゃ)

 

こうして最新刊を読んでみても…

 

「あれ?遠野屋さんの奥さんって

どうやって亡くなったんだっけ?」

 

「あれ?遠野屋さんちのおこまちゃんって

どうやってここの子になったんだっけ?」

 

「あれ?木暮さまってこんなに

イヤミでめんどくさいお方だっけ?」

これは冗談w

 

とにかく、ぜーーんぜん覚えてない

テイタラク凹

 

そこで、、、

一作目の「弥勒の月」と

二作目の「夜叉桜」を

再読してみました。

 


 

↑いやぁ~こうして装丁のカバー絵を

並べてみると

ほんとに、美しい。

 

闇に浮かぶ、「月」と「桜」

 

そして、どちらも物語りの鍵となる

遠野屋さんのかんざし。

 

こうやって並べてみると

息を呑むような、張り詰めたような、

カバー絵だったのですね。

 

「弥勒」と「夜叉」、

「月」と「桜」、

どちらの対比も

ひとが持つ、ふたつの顔。

 

どんな人間も

弥勒にもなれるし

夜叉にもなれる。

 

三作目の「木練り柿」からは

もっと具象的なカバー絵になります。

主役ふたり、いえそこに

伊佐治親分もくわわっての

三人の性格や設定おなじみになって

いろんな物語が展開されるのですが…

 

やっぱり一作目と二作目は特別。

そして「対」になってるんですよね。

 

とにもかくにも、

今は小間物屋「遠野屋」を繫盛させてる清之介の

その壮絶すぎる、生い立ち。越し方。

・・・残酷が過ぎます。

 

その匂いを嗅ぎ取って

引き寄せられるように

しつこくイヤらしく絡んでくる

同心の木暮信次郎。

 

なんなのーーーーー

好みから言っちゃうと

遠野屋さんは蝶で

信次郎は蛾、(←ひどい)

 

引き寄せあっちゃって、まぁ~

(↑あきれてる)

(↑そこが萌え~~)

(↑やっぱり凹)

 

このふたりだけだったら

どーにもこーにも

修羅場にしかならなさそうなところ、

 

緩衝材として絶妙な立ち位置で

しぶーーい役回りでホッとさせてくれる

伊佐治親分。

 

この三人が織りなす関係性、

・・・・・

たまらん、ですなっ♫

 

思い出しましたよ~~~

何度も読んではホゲェー

(萌えーーともいう)となってた

あのころのこと◎

 

そのわりに、ぜーーんぶ

忘れちゃってたわけですが(恥)

 

いちばんの収穫(?)は

おこまちゃんがどうやって

遠野屋さんのむすめちゃんになったのか、

思い出したこと。

 

哀しい身の上。

生みの母親の、なんとも業の深い

やるせない、死。

 

そしてなんと、

遠野屋さんにもらわれたのは、

なんとなんと

信次郎が生みの母親に「おすすめ」したから、とは。

 

ばえーーーw

(芋たこロスのあと

舞ちゃんで舞いあがってます)

 

これからおこまちゃんが

大きくなるにつれ、

いろんな問題も出てくるんだろうけど…

 

いまは、遠野屋の商売はもちろん

おこまを育てるために

光のなかで、

陽のあたるところで生きていく決意の

清之介。

 

「そんなことができるわけねぇ。

あいつは“死”を呼び寄せる闇の男だ」とばかり

なにかっつーーーと

言いがかりつけて絡んで

=「めっちゃスキやん??」な

信次郎。

 

ぜーんぶお見通し、かと思いきや

「どーにもこーにもわからねぇこのふたり」に

やきもきさせられては、

清之介の性根を「好き」でいてくれて

応援してくれる、

でもお仕えしてる信次郎のことも

キライになりきれない

(むしろ時おり「かわいい」なんて思っちゃう)

伊佐治親分。

最初にもどって

2作読み直してよかったーーー!!

 

ついでに?9冊まで

読み直しますよーーー。

 

ホントに覚えてないもんで(恥)

 

楽しみ楽しみ♪♪