こんにちは。
13時間の夜行バスを経て、朝9時ごろ無事広島に到着しました!
夜行バス、本当にしんどかった。
狭いシートに暗い車内、ムッとした空気…
意外にも1番辛かったのは、長時間座り続けることによる臀部の痛みでした。最初の2時間くらいを過ぎると座った姿勢を維持できないレベルに痛んできて、とても眠れたもんじゃありませんでした。
夜行バスの文句はここまでにして、
早速、平和記念公園周辺を少しみてきました。
広電の駅で降り、横断歩道を渡るとすぐに灰色のくすんだ建物が見えてきます。原爆ドームです。
インバウンドの方々がかなり多かったです。
元安川越しに。
そして、平和記念公園内を巡ります。
修学旅行なのか、学生の集団がたくさんいました。
平和の鐘。
近くで見ると色んな国の言語や
世界地図などが彫刻されています。
原爆の子の像。小学校の修学旅行の前に
折り鶴必死に折ったのが懐かしいな
広島到着の会みたいなのをやっていました。
雨の中傘もさせずに、後ろの方の子が少し辛そうでした…
小6の修学旅行で友達と一緒にお弁当を食べた思い出の場所。
平和記念資料館の出口を出てすぐです
原爆ドームの南東少し歩いたところに爆心地と推定されている場所があります。ここは初めて来ました
途中平和記念資料館も一通り見ました。
資料館では、「原爆孤児」となり昨年の6月に亡くなられた川本省三さんの体験を伝承している上椙輝之さんという方の講話も運良く聞くことができました。
原爆の悲惨さを語るとき、その物理的な「被爆者」に焦点が当てられがちですが、川本さんのように、学童疎開によって直接被爆こそしていないものの、肉親を失い、戦後も苦しんだ人々の存在は気づかれてこなかったのだという主張に強い印象を持ちました。
また、講和を聞いていて、「伝承」と一口にいっても、そう一筋縄にはいかないものなんだなということを(当たり前かもしれませんが…)感じました。
例えば、伝承するのではなく、川本さん本人が語る映像を保存して伝えていくという方法もあると思います。
しかし、一方で直接川本さん本人と関わり、その生き方を知った人物だけができる語りがあり、本人の映像ではなく、その伝承者の語りを直接耳にすることでしか伝わらないリアリティというのもまたあるんだと思います。
資料館にも子どもたちや学生たちがたくさんいましたが、僕が小学生だった頃と、何か感じ方が変わったりするんだろうか。そして彼らは自分が感じたことをもとにどんな風に行動するんだろうか…とぼんやり考えてみたりもしました(妙にませたこと考えてる)。
まだ見たかった施設などいくつかあるので、学会の時間が許せば見に行きたいな…(本末転倒)
今日は夜行バスの疲れも溜まっているので、早めに(カプセル😂)ホテルに戻ってのんびり過ごそうと思います。
では〜。