逃げた女/極限まで装飾を削ぎ落とす | そーす太郎の映画感想文

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しれっとネタバレしたりするんで気をつけてください。




逃げた女


極限まで装飾を削ぎ落とす
監督:ホン・サンスさん
出演:キム・ミニさん、他



ホン・サンス監督「逃げた女」を観てきました。混んだか映画見ていながら、恥ずかしながらホン・サンス作品はこれまでちゃんと観たことがなく(かつてバイトしてた映画館でホン・サンスかかってたのに…)。初ホン・サンスとなりました。ひとことで言うとこれが初ホン・サンスで良かった!というくらい大変楽しみましたよ!おもしろかったです。


5年間夫の元から離れたことがない主人公の女が、かつての友人3人の元を訪ね会話をするだけの映画で。一見ものすごい地味なんですが、観終わった後の感想はすごいスリリングな映画だったな、という感慨が残る作品でした。極限まで装飾を削ぎ落としたサスペンスのような映画でした。

ほんとに何気ない会話、この5年間何してたかとか、今どういう状況か?みたいな、ほんとに久々に会った友達とする会話がただただ展開されるんだけど、主人公と対峙する3人の女性の自由さと対比されるように主人公の女性の窮屈さというか、ちょっと今の社会では異常で危うい状態にあるというのが浮き彫りになっていって、この主人公は大丈夫なの?と見れば見るほど心配になってくるんですよね。


1人目の友人はかつての先輩で、同性の同居人がいて恐らくレズビアン?なのかなと思わせる女性。2人目は1人でいい家に住んでる先輩。仕事をやりつつワンナイトでヤったり、同じマンションの既婚者に恋していてという女性。3人目は夫婦で働いてるかつての親友。たぶん男関係で過去にもめたのかな?と思われます。

この3人の女性は方向性は違うけど、その誰もが主人公の窮屈さとは真逆で自由に生きていて、話せば話すほど主人公の窮屈さというか、すごい旧時代的な女性の枠に収められてる感じが浮かび上がります。直接主人公の今の様子を見せない分、観客はその状態を想像するしかないので、嫌でもヒリヒリします。で、女性同士で喋ってるところに三場面とも最後に男性が出てきて話をぶった斬っていく感じも興味深いところでした。猫に餌やるなというご近所さん、一回セックスした詩人、かつての恋人。この3人の外部の男性の登場により、女性映画としての構造が強固になってる感じもおもしろかったです。

ラストシーンが映画館で終わるんだけど、あのラストの感慨はウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」のラストシーンを強く想起しました。タイトル通り「逃げた女」は、その現実は何も変わってないんだけど、最終的に映画という一時の非現実に「逃げる」ラスト。「カイロの紫のバラ」じゃんと思いました。


この主人公が今後どういう選択をして、どう生きていくのか、観客にはわかりませんが、でも5年ぶりに夫の元を離れたこの経験、この会話、映画館での映画が、何か彼女の心に変化をもたらしたのではないか?と。彼女の今後に思いを馳せた、そんな「逃げた女」でした。今年1番地味な映画でしたが、今年1番スリリングな映画でした。とても楽しみました。