茜色に焼かれる/「頑張りましょう」の呪い | そーす太郎の映画感想文

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しれっとネタバレしたりするんで気をつけてください。




茜色に焼かれる


「頑張りましょう」の呪い
監督:石井裕也さん
出演:尾野真千子さん、他



石井裕也監督の新作ということで「茜色に焼かれる」を観てきました。うーん、色んな気持ちになりました。


観た人がパッと実際の事件を思い出すであろうオダギリジョーの事故シーンからはじまり、コロナ禍、シングルマザー、夫の愛人、セクハラ、モラハラ、学校でのいじめ、性風俗、等々、とにかく1人のシングルマザーに降りかかるこの世に存在する不条理を詰め込んだような映画になってて、とりあえず観た後はグッタリしました。

感心したのは石井裕也監督のスピード感で、某交通事故の事件もそうだし、コロナ禍で映画を撮ることなど、とにかく「今何かを撮らないといけない」という監督の熱みたいなものはかなりビシビシ感じましたし、作品の出来云々は置いといても、この姿勢自体はとてもたくましいなと思いました。

石井監督は「言葉」についての映画が多いですが、今回は言葉を封じ込めてた尾野真千子が言葉(≒怒り)を表に出す話で、石井裕也っぽい作りの映画だなと思いました。そしてなにより尾野真千子の存在感は凄まじく、もう言葉がどうにもこうにも溢れ出してしまう居酒屋のシーンとかはその演技に圧倒されました。みんな「演技」してなんとか生きてるという視点もとても刺さりました。尾野真千子凄かったなぁ。



劇中のセリフでもあるんですが、どうしてこんなに次から次へと?というくらい不条理がどんどん積み重なっていきます。あまりにも扱われてる要素が山盛りです。ぜんぜんジャンルは違いますが今年の頭にあった「逃げ恥」のスペシャルを思い出したりもしました。

次から次へと不条理が起こるんですが、しかし実は半分くらいの不条理は自ら選択してるんですよね。夫をひいた男からはお金はもらわないという選択、払わなくてもいい夫の愛人の子供に養育費は義理硬く払うという選択、義理のお父さんの介護費用も払わなくていいものだけどお世話になったからと払うと選択。どうにもならないことも確かにあるけど、半分くらいは自らの選択によってこの状況を生んでるからそこが余計に辛かった。と、同時にちょっと乗れなかった部分でもありました。

なんで払わなくていい金払うの?って聞かれると「あの人が夫だから」「あの人の妻だから」という理由で。よく考えればそこに子供という存在が抜け落ちてね?とちょっと思ったり。そしてそれを主人公に選択させてるのは作り手であって。この映画を観ただけでは主人公がなぜあえて払わなくていい金を払ってるのかよくわからず。意地とか愛とか言えばそれまでですが、子供は犠牲になってるし、この辺がちょっとのれず、作り手がより不幸な方にキャラクターを進めている感じがちょっと透けて見えてしまいました。

なんでお金もらわないの?はわかるんですが、なんで金払うの?の部分、ここはもう少しストーリー上ひと工夫あっても良かったんじゃないかなぁと思いました。

撮影・演技含め、圧倒されるシーンは多く、見応えはかなりありました。が、なんか乗れませんでした。なんかこの手の現代日本の不条理的なタイプの日本映画っていい映画だとはわかりつつなんか乗れないことが多いのはなんでなのだろう。と最近よく考えております。社会問題って結果的に浮き上がってくるものであって、社会問題自体を中心に添えるのは、どうなんだろうなぁと。作り手の気概や熱意は支持したいんですが、映画としては突き抜けたものにはならない気はしています。が、その熱意は支持したいです。