最期の一日 | チワワ☆TARO~CHIRO~POOH

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☆HIROとタロチロぷぅ~の愛ある日々☆

こんばんは。

何かしていないと気持ちが落ち着きません。

妹や娘、友人と電話ばかりしています。

夫の帰りも待ち遠しいという状態です。

なのでタロちゃんの身に起こった事を書く事にしました。

9月25日 ごはんをペロリと完食。

ごはんが終わるといつも通りサンポの催促をして元気にサンポに行きました。

夜も同様、ごはんを食べてサンポへ行く時に急変しました。

本当に突然。

なんとか、オシッコもうんちも済ませましたが呼吸が荒く歩くのもままならず抱っこして急いで家に帰ってかかりつけ医に連絡しました。

このまま様子を見て朝一で病院へということになりましたが容態が悪化。

呼吸が荒くて顔を下げられない。

舌の色も明らかにおかしい。

チアノーゼだと思ったので夜間の救急病院へ向かいました。

ずっと声をかけながらの道中はすごく長くて赤信号が憎らしかったです。

赤信号で止まっている時に救急車が通過した。

有料でいいから動物も救急車があったらって思った。

あと少しで病院ってところでタロがキャリーから飛び出し私の膝に来ました。

そして意識がなくなり体の力が抜けた。

心臓が止まってしまうと思った私は無我夢中で声をかけてマッサージをしました。

心臓マッサージなんてした事ないのに…

でもタロはそれに応えてくれました。

起き上がってくれた。

本当はそのまま私に抱かれたまま逝きたかったのかもしれないけどその時の私は諦めてなかった。

病院に到着しましたが着いたのは裏口。

一刻も早く病院に入りたかったので車を降りて走って正面に向かった。

心臓が止まりそうです、とタロを先生に託した。

その間、体の震えが止まりませんでした。

長い時間、待ったような気がしましたが今思うと割とすぐ診察室に呼ばれました。

中に入ると挿管し酸素を吸ってるタロちゃんがいました。

管を外したら数分ももたない。

管を嫌がれば治療を続けることは困難なので
延命するのであれば麻酔で眠らせて酸素室に入れて入院。

入院したとしても24〜48時間だろうと。

どうするのか飼い主が私が決めなくてはならない。私は決められずにいました。

そしたらタロが起き上がり管を嫌がりました。

どこにそんな体力が残っているのか…

そんなタロを見て私は決めました。

麻酔で眠ったままお別れしたくないから
次にタロが嫌がったらやめよう、と。

私が決められずにいたから結局はタロが決めてくれたんだと思います。

管を外してもらい最期の最期まで見つめ合いながら息を引き取りました。

2時頃だったと思います。

絶対に一人で逝かないで…

ずっと私はそう言ってたのを叶えてくれた。

暖かいタロを抱きしめられた。

最期まで一緒にいれたね、タロちゃん。

看取らせてくれてありがとう。

病院で綺麗にしてもらって帰宅したのは3時頃だったと思います。

最期の写真を撮るってどうなの?って思っていた私ですが撮れば良かったっていう後悔はしたくないので写真を撮りました。

賛否両論あるので写真は載せませんが
最期のお顔も私の可愛い可愛いタロでした。

その後、眠ることが出来ずに朝を迎えました。

眠れないので7時頃にブログを更新して
9時頃かなー?少し眠れましたが11時頃にインターホンで起きた。

インターホンのお相手はお花屋さんですごくビックリしました。


亡くなって数時間しか経ってないんだもの。


ブログを読んですぐに送ってくれたんですね。

のりちゃんのあったかーいお気持ちを受け取りました。


のりちゃん、本当にありがとう。

夕方にまた眠ることが出来ましたが3時間ほどで目が覚めてしまいました。

こんなに眠れないもなのなんですね。

いつもいる場所にタロが居なくて私を見つめるタロが居なくて、そばにタロが居なくて寂しさで涙が溢れます。

12年間と3ヶ月、誰よりもそばにタロが居たから
タロの居ない人生なんて寂しすぎるよ。

明日、タロをお空に返します。

雨続きのタロチロぷぅー地方…

明日は晴れますように。

タロの犬生は幸せだったかな?

そうだといいな…

私は幸せだったから。

犬のいる生活の楽しさ、嬉しさ、愛おしさを教えてくれたのはタロでした。

たくさんの幸せをありがとう。

頑張って生きてくれてありがとう。

本当に本当に頑張ってくれました。

最期まで親孝行でした。

無償の愛をたくさんもらったよ。

タロちゃん、ありがとうね。


お母さん、さよならは言わないよ。

私はまたタロちゃんに会えると信じてます。


最後に生前、タロを愛してくれた方々に感謝の気持ちを申し上げます。


ありがとうございました。