日蓮正宗 | タロウのブログ

タロウのブログ

ブログの説明を入力します。

日本における弘通の方軌(ほうき)
 第三は、日本における具体的な弘通の方軌についてです。
 大聖人は『教機時国抄』に、
 「日本国は一向に大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり。(中略)而るに当世の学者日本国の衆生に一向に小乗の戒律を授け、一向に念仏者等と成すは、譬ヘば宝器に穢食(えじき)を入れたるが如し等と云々(御書 二七二㌻)と仰せられ、日本は実大乗たる法華経の弘まるべき妙国であると御指南されています。
 すなわち大聖人の仏法をご飯、少々の謗法を砂利(じゃり)に譬えたとします。ご飯はそれのみで食することができますが、少々の砂利が混ざっていては、全く食べることはできないのです。砂利はその一々を取り除かなければなりません。
 このように、日本における弘通は折伏に限るのです。それは大聖人が時の為政者を諌暁(かんぎょう)された御振る舞いをはじめ、御歴代上人の度重なる国家諌暁、また法華講の鑑(かがみ)とされる熱原三烈士(あつわらさんれっし)の振る舞いを考えれば自明です。日本は大聖人が三大秘法を建立あそばされた妙国であり、どこまでも死身弘法の折伏弘通を貫(つらぬ)かねばならないのです。また、『顕仏未来記』の、
 「正像(しょうぞう)には西より東に向かひ末法には東より西に往く(中略)仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(同 六七七㌻)
のごとく、日本が起点となり、現在、世界の国々に正法が流布し、寺院、布教所、事務所が多くの国で置かれるまでになりました。死身弘法の精神はすでに世界へ弘(ひろ)まっています。私たちは、今こそ平成二十一年をめざして、どこまでも『立正安国論』に貫かれる諸宗の邪義を破して正直の妙法を立つという精神を確立しなければなりません。「立正」なくして「安国」はない、「立正」なくして、自身の境界を仏と開き・数多(あまた)存する社会不安を除くこともないとの大確信を開くことこそ、「国を知る」ということになるのです。