日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、
今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候もわたくし(私)の計らひにはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計(はか)らひなり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆヽしきひが(僻)事なり
(新編御書1219・全集1546)大聖人が五重相対の種脱相対について御教示と拝します
現在の末法時代は、写経にもちいる般若心経や他の余経を修行する時代ではなく、さらに文上の釈尊が説かれた法華経も利益を失う時代との御教示です
純粋に文底下種仏法の南無妙法蓮華経に余事をまじえることなく修行する時代であると感じます
南無妙法蓮華経とは、一大秘法の本門の本尊であり、この本門の本尊を信じて本門の題目を唱えることが余事をまじえない南無妙法蓮華経になります
申すまでもなく本門の本尊とは、本門戒壇の大御本尊であります
もし法華経を捨てて、法華経以外の諸経を受持するようなことがあれば大聖人は『開目抄』に、
善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし
(御書572)
と仰せです