リーダーシップって? | 岡本太郎のブログ

リーダーシップって?

リーダーシップについて考えさられる出来事があった。


  先日、電車に乗っていると、一人の男性が発作で痙攣をし始めた。


  癲癇だ、と瞬間的に思った。


  周りの人はただただ、それを眺めているだけ。


  私も状況を把握するに留まり、「眺めて」いた一人だった。


  30秒も立たないうちに、男性一人、女性一人が介抱をし始めた。


  私もとにかく何かしなきゃ、と思い、電車の非常停止ボタンを押す。


  けたたましいベルの音が車両に響き渡る。

 

  次の駅で緊急停車するというアナウンスが流れた。


  数分して駅に停車すると、乗客の数名が大きな声で「病人はこっちにいるぞ!」と


  駅員に担架を持ってこさせた。


  またある乗客たちは、人垣をこわして、担架を運び入れる道を確保した。


  担架に乗せられて、電車から運び出される頃は、病人は意識を取り戻していた。


  そんな中でも、おしゃべりをしている人たち、全く無視している人もいた。寝ている人もいた。



ここで疑問に感じたことは、2つ。


なぜ最初の数十秒は、だれも動けなかったのだろう?

リーダーは誰だったのだろう?



なぜ動けない?


痙攣して口から沫を吹いている人を見て、ただ眺めている時間があった。

誰もが眺めている。

私自身も動けない。


影響力の武器に「社会的証明の原理」という考え方が紹介されている。


私たちは他人が何を正しいと考えているかに基づいて物事が正しいかどうかを判断する、というものです。

この原理が特に適用されるのは、正しい行動が何であるかを私たちが決めるときです。特定の状況のものとで、ある行動を遂行する人が多いほど、それが正しい行動だとみなすのです。

(影響力の武器 ロバートBチャルディーニ)


私が行動する前に感じていたこと、


  悲鳴が聞こえた・・・なんだろう?

  あ、、人が痙攣を起こしている・・・・昔も見たことがある。癲癇だ。

  だれか介抱しないのかな?

  はやく周りの人、動けよ。

  あ、動き始めた。二人とも慣れているな。

  あ、俺も何かしなきゃ!・・・そうだベルを押そう。

  ベルはどこだ!・・・・あった!


そして、ベルを押した。 

そのとき心に聞こえたのは、「おまえ自身が動け!」という自分の声だった。



リーダーは誰?


最初に介抱した2人?非常ベルを押した私?それとも駅員に担架を持ってこさせた人?


いわゆる指示命令をするような人はいなかった。

ただ、動いた人は、自分のやるべきことを分かっていて、動いた。。ように見えた。



「自分が動かなきゃ」と自分自身が思わない限り、人は行動しない。

それは、誰かに言われて動く、という受動的なものから、自分で動くという能動的なものまで、行動にもいろいろあるだろう。いずれにしても、「自分が動かなきゃまずい」と思って、自分で自分を動かす。



リーダーシップは、まず己自身に何をすべきかを考えさせ、行動させる「意識」なのではないか?その上で、人に影響を与える人なのではないか?


リーダーシップは、一人ひとりの中にあり、たった一人でも行動するという強い「信念」なのではないか?


リーダーシップは、Being(己を生きるプロセス)そのものなのではないか?




一人ひとりが「自分」のリーダー。



組織で考えてみると、どうだろう?


社会で考えてみると、どうだろう?



まず「自分」が動く。


「自分一人」の行動が、大きな波を起こす。


一人ひとりがリーダー。








「Be TARO」

岡本太郎