ブリヂストン美術館の話の続きを書きます。
印象に残った作品として白髪一雄という人の作品がありました。
1924~2008と最近まで存命していた人物のようです。
作品は昏杜というものですが、足の裏で描いたぐちゃぐちゃの
大作です。
今でも意味がよくわからないとの解説が書かれていました。
もう一つの作品として白い扇というものがあり、ひたすら白い
大量絵の具を大カンバスにたらし、ヘラで半円を描いただけの
ものです。
作者のコメントは、本当は円を描きたかったんだけど、難しかった
ので半円になったそうで、中途半端な感じが伝わってきます。
比叡山延暦寺で得度し、制作に取り掛かる前はひたすら般若心経
を唱えていたそうです。
円というと、吉原尚良という人物の1969年の作品も印象に残りました。
1905~1972に存命した人物です。
たった一つの円さえもまともに描けないことをいやというほど思い
知らされ、晩年の10年間はただひたすらフリーハンドで円を描き
続けたそうで、ほとんど病気に近いのではないかと思いました。
ピエールスラージュという人の2007年3月26日という作品は黒のみ
で作られていました。
まだ存命中の人物です。
子供の頃から黒が好きだったそうで作品は本当に黒だけです。
ただ、横筋をつけているだけでした。
ちなみに作品名は絵が仕上がった日ということでした。
どの作品も簡単に作れそうです。
一般人であれば仕事でどんなに活躍したとしても、後世に名を
残すことなんて出来るわけないことが普通ですが、こんな作品を
書くことによって、そんなことを実現しているこれらの人々はなん
だかずるいようにも思われました。
最後に青木繁の作品をみました。
石橋正二郎の小学生の時代の恩師、坂本繁次郎が青木の
作品を見るように熱心に勧め、本人の美術品収集を始める
きっかけとなった人物です。
美術の教科書にもよく出ていた海の幸という1904年の作品です。
坂本繁次郎が館山の布良を旅行した折、漁港で見た風景を
青木に伝えたところ、青木の目が急にギラギラ輝き始め、想像力
で一気に描いたそうです。
想像力だけでこの傑作を仕上げたとはおどろきました。
ここまでで結構、時間が経過し、夕方になっていました。
ぐるっとパスは沢山使わないとソンなので、近場で使える他の
美術館はないか調べたところ、東京フォーラムに相田みつを
美術館があるとのこと。
人間だものの人物です。
早速、移動することにしました。
相田みつをとはどのような人物なのか全く知りませんでしたが、
栃木県足利市で生まれ、生涯を過ごした人物でした。
下手な字体で詩が綴られていることで有名ですが、本人は
プロの書家ということでした。
1924年に生まれ、1991年道で転んで67歳で死去した人物
ですが、有名になったのは晩年のことであり、人生のほとんど
は不遇の中で生きてきたようです。
周りに田んぼが広がる足利市のアトリエで、子供の生活費を
稼ぐため、必死に創作活動を行ってきた様子を見ていると、
なんだか親近感が湧いてきました。
どんな不遇な状況にあっても、赤くて熱い血が流れている
人間のことが好きで好きで仕方がなかったそうで、その
感覚がすごいなあと思いました。
おねえちゃんのことが好きで仕方ない人は世の中に沢山
いますが、人に分け隔てなくこんな気持ちでいられるとは
にわかに信じがたい気分になりました。
相田みつをの作品を初めて見たとき、納得はするものの、
一方でなんだか不思議と警戒しようとする自分がいたこと
を思いだしました。
”わざと下手に書いて人におもねる字や、それを紙に書き
付け、人の心の底の劣等感をごまかすような文句も嫌いだし、
うまく書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある
ようで警戒したくなる”というものです。
人生の大半が不遇だった理由は、同じような感覚を世の中の
批評家たちも持っていたことにあったようであることが判りました。
本人は若い頃から曹洞宗に傾倒し、その生き方からもなんら
魂胆があったわけでもなさそうだし、事実ではない穿った
見方であったことを理解しました。
ただ、世の中にもわかってもらえたのは晩年のことであり、
自分の意思を貫いて生きていったことは大変だったろう
なあと思いました。
ではまた
印象に残った作品として白髪一雄という人の作品がありました。
1924~2008と最近まで存命していた人物のようです。
作品は昏杜というものですが、足の裏で描いたぐちゃぐちゃの
大作です。
今でも意味がよくわからないとの解説が書かれていました。
もう一つの作品として白い扇というものがあり、ひたすら白い
大量絵の具を大カンバスにたらし、ヘラで半円を描いただけの
ものです。
作者のコメントは、本当は円を描きたかったんだけど、難しかった
ので半円になったそうで、中途半端な感じが伝わってきます。
比叡山延暦寺で得度し、制作に取り掛かる前はひたすら般若心経
を唱えていたそうです。
円というと、吉原尚良という人物の1969年の作品も印象に残りました。
1905~1972に存命した人物です。
たった一つの円さえもまともに描けないことをいやというほど思い
知らされ、晩年の10年間はただひたすらフリーハンドで円を描き
続けたそうで、ほとんど病気に近いのではないかと思いました。
ピエールスラージュという人の2007年3月26日という作品は黒のみ
で作られていました。
まだ存命中の人物です。
子供の頃から黒が好きだったそうで作品は本当に黒だけです。
ただ、横筋をつけているだけでした。
ちなみに作品名は絵が仕上がった日ということでした。
どの作品も簡単に作れそうです。
一般人であれば仕事でどんなに活躍したとしても、後世に名を
残すことなんて出来るわけないことが普通ですが、こんな作品を
書くことによって、そんなことを実現しているこれらの人々はなん
だかずるいようにも思われました。
最後に青木繁の作品をみました。
石橋正二郎の小学生の時代の恩師、坂本繁次郎が青木の
作品を見るように熱心に勧め、本人の美術品収集を始める
きっかけとなった人物です。
美術の教科書にもよく出ていた海の幸という1904年の作品です。
坂本繁次郎が館山の布良を旅行した折、漁港で見た風景を
青木に伝えたところ、青木の目が急にギラギラ輝き始め、想像力
で一気に描いたそうです。
想像力だけでこの傑作を仕上げたとはおどろきました。
ここまでで結構、時間が経過し、夕方になっていました。
ぐるっとパスは沢山使わないとソンなので、近場で使える他の
美術館はないか調べたところ、東京フォーラムに相田みつを
美術館があるとのこと。
人間だものの人物です。
早速、移動することにしました。
相田みつをとはどのような人物なのか全く知りませんでしたが、
栃木県足利市で生まれ、生涯を過ごした人物でした。
下手な字体で詩が綴られていることで有名ですが、本人は
プロの書家ということでした。
1924年に生まれ、1991年道で転んで67歳で死去した人物
ですが、有名になったのは晩年のことであり、人生のほとんど
は不遇の中で生きてきたようです。
周りに田んぼが広がる足利市のアトリエで、子供の生活費を
稼ぐため、必死に創作活動を行ってきた様子を見ていると、
なんだか親近感が湧いてきました。
どんな不遇な状況にあっても、赤くて熱い血が流れている
人間のことが好きで好きで仕方がなかったそうで、その
感覚がすごいなあと思いました。
おねえちゃんのことが好きで仕方ない人は世の中に沢山
いますが、人に分け隔てなくこんな気持ちでいられるとは
にわかに信じがたい気分になりました。
相田みつをの作品を初めて見たとき、納得はするものの、
一方でなんだか不思議と警戒しようとする自分がいたこと
を思いだしました。
”わざと下手に書いて人におもねる字や、それを紙に書き
付け、人の心の底の劣等感をごまかすような文句も嫌いだし、
うまく書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある
ようで警戒したくなる”というものです。
人生の大半が不遇だった理由は、同じような感覚を世の中の
批評家たちも持っていたことにあったようであることが判りました。
本人は若い頃から曹洞宗に傾倒し、その生き方からもなんら
魂胆があったわけでもなさそうだし、事実ではない穿った
見方であったことを理解しました。
ただ、世の中にもわかってもらえたのは晩年のことであり、
自分の意思を貫いて生きていったことは大変だったろう
なあと思いました。
ではまた



