国内外で災害や戦争が起きると、多くの団体や自治体で義援金の受付が始まり、同時にあちこちに募金箱が設置される。
支援の輪が広がることは素晴らしいことだけど、この「箱」の設置、どうにか制限できないものかと思う。まとまった額を寄付しようという人は口座振込を利用するし、「箱」に集まるのは大半が小銭。


自治体だと、担当課が各区役所や図書館、地下鉄駅など何十ヶ所に回収に回り、大量の小銭を硬貨選別機にかけて仕分けし、計算して、開設した口座に入れる。ATMは一度に、そして一日に入金できる硬貨の枚数に上限があるし、ジャラジャラと硬化を入れていると後ろの人に嫌な顔をされたり不審な目を向けられたりもして、何日もかけて何度も並び直す。その間、かさばる現金の管理も一苦労。1円玉にいたっては、1000枚、つまり1000円入金するのに1100円の手数料がかかることも。

チリも積もれば・・・
気持ちが大事だから
 

などと言って、募金箱設置せよとご指示やご意見いただきますけど、チリが積もりすぎると労力も手数料もかさむんですわ。「気持ち」が大事なら、どうすればより効果的に被災地に必要な金品が届けれられるのか調べるものだと思うし、本当に被災地や避難者を思う「気持ち」があるなら、買い物で出たつり銭をチャリンと箱に入れるとか、「銀行まで行くのが面倒」「振込手数料を負担したくない」「税金控除ないならやめとく」なんて考えになるものか?それは相手のためを思った寄付なのか?

それでもまだ現金なら、誰かが汗をかけば済む話かもしれない。モノについては、それが本当に「支援物資」になるのかどうか、よくよく想像力を働かせてもらいたい。

2年前の2月以降、「使わなくなった布団があるからウクライナに」とか「引っ越して置けなくなったソファをウクライナ避難者の住宅に」といった類の電話をしょっちゅう受けた。「こんなものでも助けになるかと思って」と古着の肌着を持って来られた時はひっくり返りそうになった。支援の受付は断捨離じゃない!!

 

支援の形はいろいろ。自己満だろうが、偽善だの売名だの言われようが、何かやる人のほうが何もしない人間よりずっといい。

けど、相手の手を煩わせる厚意の押し付けは、お願いだからやめてください、そのほうが助かります、と言いたくもなる。

 

本当に「気持ち」のある支援の輪が広がりますように。