清水寺で発表された今年の漢字は「税」

 

私の過去8年の漢字

2022年 闘

2021年 激

2020年 革

2019年 新

2018年 難

2017年 挑

2016年 変

2015年 怒

 

ずいぶん荒立ってる感じだな。(笑)

今年は「健」です。

この数年を振り返ると、新しい環境を楽しんだり、改革に挑んだり、刺激のある日々に奮闘したり、全て自分と周りの「健康」が前提だったから、少々無理もしながら全力投球できていたのだと実感。

 

私自身は、視野欠損が進んでいることを除けば身体自体は健康。週一のヨガとサ活で調子もいい。ただ、今年は特に両親の老いと衰えを感じる1年だった。父は8年前に脳梗塞をしたにも関わらず、奇跡的に麻痺も残らず元気だったけど、毎年のようにどこか悪い箇所が見つかり入院、手術を繰り返している。しょっちゅう診察に行ってるから発見が早くて毎度手術で生還するのだけど。そして母も持病に加え、難病で春先から秋にかけて闘病の日々。

まだ介護までは必要としないけど、一緒にデッキでバーベキューしたり外食したり、丹後で過ごしたりもできなくなっていた。

もう歳も歳だから何かがあっても驚かないし、覚悟もある。手術失敗したって、たとえ診断が誤ってたって、訴えたりなんてしない。でも、「主治医に家族には伝えておくよう言われるから」と病状や症状、リスク、もしもの時、あれこれ説明されるのは、あまり愉快なものではない。

どちらかと言うと私は、昔だったらもう助かってない病気がこんなに治療できて、きっとそういう高齢者がいっぱいいて、とてつもなく日本の医療費の負担になっているんだろうな、とか考えてしまうドライな娘。

 

そして、そろそろ親の「終活」にも真剣に向き合わないといけない時期に来ている。

何より、家に引きこもっている親の姿を見聞きすることや、痛がる様子を見るのは、けっこう気が滅入る。

単に長生きするのがいいなんて本当に全く思わない。「健康」であるからこそ日々小さな幸せを感じられるものだし、年齢相応の疾患があっても「健やか」でいることがいかに大事で意味があるかを痛感した。

ここに来て、ようやく少し落ち着いたように思う。そしたら今度は先月私が、何年ぶりか思い出せないぐらい久々に風邪を引き、軽かったものの、慣れないからしんどかった。体の調子が悪いと全てが億劫になる。加齢もあって回復にも時間がかかるのかも。

 

職場では年度当初に同僚が潰れ、かなりショックが大きかった。

心身ともに健やかだからこそタフな仕事にも耐えられるものだけど、相当タフでなければこなせない職場にしてしまっては、希少な若い労働力を失ってしまう。人事評価の申告書では組織に対してだいぶ辛辣なことを書いた。

来春は、今度こそ間違いなく異動になる。アラフィフで、また新たな環境を、変化を、どこまで楽しめるものだろうか。

 

とにかく、健やかでいたいものです。