久しぶりの投稿になります。
暑い中
まだまだかなりの過眠と倦怠感や
体の痛みもあるので
出来ることを無理のない範囲で
やってます。
今日も起きてすぐに
頭が痛いぞっー!!
YouTubeでちょっと目に止まったのがあったので
久しぶりに投稿しようかなー!
って感じです。
私は心の余裕が無さすぎて
病んでしまったから
母親としては中退みたいなもんですよ・・・
長年の鬱病から
双極性障害2型と診断されたってことは
遺伝的要因もあったんでしょうけど
まぁ、医師によって
診断も変わるから
断定とは思わないんですけど
感情の起伏は激しい部分があったので
テンション上げすぎて
後からドッと疲れるってのは
私の中では当たり前でした。
とにかく
希死念慮が続いた20年間くらいは
記憶も飛び飛びで
ほんとに地獄を這い回ってる感じだったなぁ。
今の状態に落ち着き、希死念慮が出なくなり
今思うのは
子供との時間を
笑顔で過ごすことの大切さ。
子供の笑顔を見られるように
自分が笑顔でいることの大切さ。
心の余裕を持つこと。
完璧な母親になろうとして
完璧な主婦になろうとして
無理してまで
一人では持ちきれない程の荷物を
自ら背負い
終いには持ちきれず
一人で立っていることさえできず
手放した。
ぶん投げた感じ・・・💦
逃げた。
自分を守るのが精一杯で
逃げた。
子供に笑顔を向けられる母親では
なくなってしまっていたよなぁ。
子供の心の声を聞いてあげられる
自分じゃなかった。
子供を抱きしめてあげられる
母親じゃなかった。
一番大事なものだったのにね。
一番手放してはいけないものだったのにね。
だから、今、ワンオペ育児で
疲れきってるママさんパパさんが
居たら
そんなに頑張らなくていい!
子供は完璧な親を求めてるんじゃなくて
自分を日々見つめて
見守ってくれる親であって
笑顔の絶えない
安心、安全は居場所が
家庭にあることだと思う。
私自身が家庭の中で
緊張感が絶えなかったし
息を抜けず
あれしなければ!これしなければ!
ってなってて
病気でそれが出来なくなった自分に失望して
強い罪悪感を持った。
自分が寂しかった子供時代を振り返っても
家庭が自分の安心できる場所ではなかった。
途中から父子家庭でかなり貧乏で
家事と学校、部活と大変だったし
高校時代には継母のイジメ的なものもありつつ
認知症のじいちゃんを引き取った時期ももありつつ・・・
もうなんなんでしょーね。
忙しすぎて覚えてないわ!!笑
そこからすぐ
結婚して子育てして
姑や小姑の嫌がらせ的な数年間
私って、姉の子供数人の保母さんも兼ねてますかー?っていう
がんじがらめの時を経て
次はワンオペ育児で
完璧にしないといけないと思い込んで
誰にも頼れなくなってて
鬱と過換気症候群で倒れた。
だからきっと、私が病んでしまって
笑顔のない家庭は
子供たちも
安心できるはずがなかったよなぁ。
最初に希死念慮が出たのが
25歳頃だったと思います。
時には5人の子供の世話に追われ
休み無し!
姑の監視付き!みたいなw
精神科にしばらく通ったけど
義母に反対され
治療が中断になったんだった。
毎日夕方には熱が出てたなぁ。
それでも注射してもらって
家事育児から離れる事がなかったな。
一時は回復したものの
30歳過ぎてまた鬱状態。
その頃は解離性障害で昏迷になっても
健忘が出てても
それが病気だという自覚もなかったな。
子供からすれば
そんな母親、怖いよな。😱😱😱
自分でも記憶が抜けてる事が怖い!😱
子供たちが目の前に居た時に
もっと楽しんで
もっと笑顔で子供との時間を過ごせば
よかったな。
そう思う親が
後悔してる親が
世の中とても多いんだろうと思っている。
そして、今では私の父親も
私には心の傷を負わせたと後悔してるらしい。
私が病気になったのは自分にも責任があると言ってくれた。
でも、そう言ってくれたのは
私に理解を示してくれたんだと
有難く思う。
今では
笑って過ごす時間は短いけど
人の顔色を伺ったり
自分を押し殺さないように
生きたいと思うし
前向きさを失いたくないと思ってます。
あの頃に比べ
自分の精神安定を一番に・・・と
自分の時間も大切にしています。
子も親も
素直に気持ちを吐き出せる家庭
そんな安心できる場所が
作れなかったのと
私もそんな環境で育って来なかったから
いつもギリギリで生きてて
しんどくても平気なフリをして
相談相手も手助けもなく
孤独感が強くて
自分に余裕もなく
自信もないからこそ
子供に対してもピリピリしてたんだなぁ・・・って思う。
こんな動画見つけたので
そんな事を思い出しています。
私のように本当に大切な人
大切な子供を失わないために。
子供の心を蝕ませないように。