10年ぶりに稽古三味線の包みを解いてみた。
三味線というのは、弾いていないと皮が縮んで破れてしまう。
しまうときには乾燥剤をたくさん入れて、和紙でくるんだ上に手拭いを巻いてビニールに入れておいた。
皮が破れていても当然だな、と思いながら空けてみたが、驚くことに傷一つなかった。

実家から持ってきた楽譜を開いて撥をあててみると、何となくかたちになった。音を合わすことが出来たのに驚いた。時間をきちんと割いて稽古したら、少しは弾けるようになるかもしれない。
若いうちに集中してやった稽古というのは身体に残っているもんだな、とちょっとびっくりした。



あまり人に話したこともないが、芝居を始めたばかりのとき、新劇系の養成所に行った後で、一年間、前進座という、歌舞伎をやったりする劇団の養成所に入り、和物を勉強したことがある。


実は、最初に入った養成所の卒業公演で、井上ひさし氏の、戦後すぐの日本を舞台にした舞台をやらせて頂いた折のこと。畳の掃き方がわからなかった。30分のシーンで正座をし続けることが出来なかった。畳の四畳半にいて、どの位置に座れば良いかわからなかった。
だいたいなんでこの話の中の人物は遠慮ばかりしているのだろう。稽古中、身体にしっくりこなくてずっといらいらしていた。

畳のない家に育ち、子供の頃からオールディーズを聴いていた。ハリウッドのミュージカル映画が映画だと思っていた。着物っていうのはややこしいものだと思っていたし、謙虚っていうのは馬鹿らしいと、思ったことははっきり言うもんだ、と信じていた。

ただ、その芝居ができなかったのが、理解できなかったのがあまりに悔しかったのだろう。
いつの間にか、朝9時から浴衣を着て、三味線を触り、正座をして稽古をする生活を一年間続けることを選んでいたのだ。


大好きだったなぁ…、下手でもなんでも、その気になって、歌舞伎の中の、梅ごよみ、かな。一本刀土俵入り、ふるアメリカに袖はぬらさじ、に出てくる芸者になったつもりで、三味線を抱えて、遅くまで稽古した。飽きなかったなぁ。

その後、結局、劇団の入団試験を受けず、少したってシェイクスピアなぞをやるようになり、自分の企画を始め、そして、そして…。


人生の選択がどんどん変わってきた今年の最後に、こうして、もう一度三味線が私の膝にある。

落語に触れるようになって、御簾中のお囃子を聴く度に、まるで、遠い昔に別れた恋人を思うように懐かしく思っていたのだけれど。10年ぶりに触れた稽古三味線は、同じようにひんやり冷たく、心地よい手触りだった。


その頃の同級生に今年偶然出くわして、昔の話をした折、「あなたが、とっても和物を愛していたのは解っていたよ」と言われた。
なんだかよくわからないけど、落語という新しいものに出会った一年だと思っていたら、結局、こういう好きなものに出会い直すことになった。


よくわからないけど。
なんだろう。偶然が必然だとしたら、この再会も必然なのかも知れない。


丁寧に拭き込んで、同じようにビニールをかぶせて仕舞う。
来年は稽古を始めてみようか。