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1932年型プリムス・セダンはアメリカでは中流階級向けの中級車で、現在の日本で言えば三菱ギャラン・フォルティスあたりの価値観の平凡なファミリーカーである。1930年代からライバルが増え、対抗する為に毎年のようにモデルチェンジが行われていた。
その市場競争は10年後の1942年の第二次大戦のアメリカ参戦による民需車両生産中止まで毎年行われていた。
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日本では1928年より既にフォードが横浜に、シボレーが大阪に進出し現地生産を開始。
プリムスは中級車にも関わらず、直輸入の外車だったので価格も二倍で日本では出遅れた感があった。
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しかし、一方で現地生産車は同クラスでも日本の道路状況に合わせ頑丈にかつ廉価に出来ていたので、直輸入のプリムスは出来が良く、運転手付きハイヤーとしての需要が高かった。
東京の日本交通でも積極的にプリムスを納車していたそうだ。
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キットは1967年にアメリカ・パイロ社で発売されたクラッシックカーモデルをラインナップした「デスクトップ・シリーズ」の一つ。エンジンも再現されている。
現在他のラインナップは同じくアメリカのリンドバーグ社で再販され、今も入手可能だが、このプリムス4ドアは地味なせいか再販されていないようだ。同様に34年プリムス・セダンもあったがこちらも再販されていないようだ。

出来は結構合いも良く、車高が低すぎるのが難点だが、プラ棒で嵩上げすればよい話。
しかし、ボンネット・ラジエター部分は合いが悪い。
メッキ部分がメッキじゃないのもちょっと厳しい。

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日本フォードA型六輪トラックと。
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1929年パッカードと。貫禄が違いすぎる(@@;)
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黄色いのは1941プリムス4ドアセダン。
日本は1938年にアメリカ企業を追放し、国産車育成を行おうとしたが、結果、日本車は1932年プリムスと大した変わりのない車のまま第二次大戦を迎えた一方、アメリカの車は劇的に進化していた。