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1942年秋(昭和17年)、太平洋戦争戦域が広範囲に広がり、従来の一式陸攻では補いきれなくなったのと、捕獲したアメリカのB-17爆撃機に刺激され、4発エンジンの爆撃機の開発が中島飛行機に依頼され、開発が始まった。
しかし、試作第一号機が完成した1944年10月(昭和19年)は、戦況は完全に日本が不利になっており、満足に飛行試験等が行えず、「多分高性能だろう」という状態のまま、試作4号機が完成したところで終戦を迎え、結局実戦参加は無かった。

なお、4機作られた中には、アルミ資材不足に伴い、安価な鉄製の機体も試作されていたという。

4号機は、戦後、アメリカ軍に押収され、本国へ送られ、試験の結果、B-17に勝る優秀な機体と絶賛された。しかも、車輪が古典的なB-17の不安定で離着陸の視界が宜しくない尾輪式に対し、視界が良好で離着陸も安定する前輪式を採用するなど、先進的でアメリカの技術者を感心させた部分が結構あったという。

しかし、残念ながら保管場所が決まらずにアメリカ本土で廃棄・解体が決定し、最後の生き残りだった4号機もこの世から消えてしまった。

★キットは1960年代にハセガワから発売されたキットで、今もスポット生産されているロングセラー・モデル。画像は1970年代初頭の二世代目。説明書は初代の箱絵。

塗装は標準的な海軍の塗装で、説明書もそのようになっている。
しかし、試作機しか存在しない機体なので、全面オレンジが正解だと思う。
若しくは1号~4号で塗装が違うかも知れない。

因みに唯一のカラー写真の米軍接収テスト時の写真はオレンジで、エンジンカウルのみ何故か未塗装。