1936年初飛行。日本海軍初の単葉戦闘機の三菱96式に刺激され開発された。
格闘戦は一流で戦闘機じゃなくとも曲芸機としても一流と言われた。
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武装は7.7mm機銃2丁だったが、この取り付け方法が欧米を驚かした。なんと、エンジンシリンダーの隙間に銃口があった。
さらに、胴体に燃料タンクは無く、機体下部に半円流線型のドロップタンクを二個設け、徹底した軽量化とボディ剛性を誇った。
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その為、アメリカとの戦争で旧式化した後も練習機や連絡機に転用され、ベテランが操縦した97式戦闘機が米軍戦闘機に捕捉されるも撃墜されず、撃墜できずで無事帰還したという話もあった。
なお、脚は引き込み式ではなく旧式に見えるが、頑丈な脚のおかげで中国大陸における戦闘では草原にも着陸でき、撃墜された同僚を強行着陸で拾って帰るといった芸当も多々こなした。(画像の作品は低圧タイヤ仕様)
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タイ空軍にも輸出され、米軍のP-51を撃墜した話は今もタイ空軍では有名な話である。
但し、タイでの現存機は残念ながら廃棄になった残骸のみである。
 
動画のニュースは1996年のもので、大戦末期に250kg爆弾を抱いて特攻に出撃直後に爆弾の重さで不時着水した機体である。現在は福岡県筑前町立大刀洗平和記念館にて再生・保管展示されている。
 
☆キットは1970年代初頭にマニア社で製造販売されたキットだが、70年代中盤に会社を畳み、ハセガワに金型を譲渡したものである。当時のハセガワのキットと比べると部品が非常に精密で良くできており、ハセガワ技術陣を刺激した。