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1941年初飛行・1942年配備
日本初の純国産飛行艇・97式大艇の後継として登場。その能力は97式を時速100キロ以上を上回った450km/h・航続距離は7100キロという当時の世界最高水準の性能を誇った。

この能力を生かして、1942年3月20日にイ号潜水艦と共同作戦で2機でハワイの真珠湾を再攻撃っという大規模な作戦を実施し、成功はしたが大した打撃を与える事は出来なかったという。

武装は20mm機銃を前後横に装備し強力で、しかも大型飛行艇としては高速で、連合軍側からはヘタに近寄ると危ないと言われていた。

しかし、米軍の飛行機の性能が向上して機数も充実するに従い未帰還機も多くなり、終戦時に生き残ったのは総生産167機(輸送機型「晴空」含む)に対したった1ケタと言われる。

戦後、米軍は2式大艇を調査したところ、当時の米軍の飛行艇にコレに匹敵する性能を持った物は無く、
安定性や構造的には米軍機に劣ってはいたがハイオク燃料を入れたところカタログデータを20km凌ぐ472km/hの最高速度を記録した。

うち一機は丹念に分解され米本土に持ち去られ、酸化防止に密封された上、特殊な膜に包んで大事に保存された。

1979年に保存先の予算不足により、日本の船の科学館に引取られ、展示された。
その大きさに誰もが舌を巻いたが、程度も保存状態が良好だったせいで塗装までシッカリ残り、特殊コーティングを施された。

だが、何故、船の科学館に飛行機があるんだ?という一部の批判があった他、船の科学館の予算不足もあり、2004年に海上自衛隊に引取られ、現在は、特攻機の出撃基地にもなった鹿児島の鹿屋航空基地に展示されている。そして、この機の技術を生かした子孫ともいえる新明和US-1飛行艇と仲良く翼を並べて現在に至る。

ヒコーキ雲  http://ksa.axisz.jp/RCNisikiDaitei-1.htm#8

☆キットは1960年代後半のハセガワ製。実は私が作った初めての大型機だった。
古本屋で買った「丸メカニック」の日本返還直後の記事を見て、あまりの大きさとカッコよさに惹かれ作った。当時は塗装はしたが、筆塗りで、継ぎ目処理も行なってなかった。模型店に展示後、常連の飛行機モデラーの方に無償提供した。約束ではその後キチっと作り直した筈である。

画像のは最近購入した2004年再販版。非常に懐かしい(^^)整形色は当時はダークグリーンだったと思う。普通はデカールも更新されてるが、このキットは当時のまま。
古い説明書とカラーインストは、唯一手元に残っていた当時のもの。丸メカニックは現在高価なので購入は様子見中。

実は、旧LS(現マイクロエース)の1/144の方が大きさが手頃なのでそっちを買おうと思ったが、やはり当時の思い出もあるので、あえて購入。
16年前に作ってすぐあげてしまったのは、やはり大きさ・・・今なら何とかなりそうなので、今月末に引き渡される新築のマイホームに移った時に早速作るつもりである。