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1940年代後半に開発された米バイアッセッキ社のタンデム・ローターヘリコプター。

乗員は登場当時世界最大の20名を載せることができた。

軍用名・H-21で、民間仕様はV-44と名づけられた。

陸上自衛隊では1959年に、将来の大型ヘリを使った戦術を研究する為、民間仕様を2機導入。
川崎V-107競弌璽肇襪本格的に採用されるきっかけを作った。

10年間使用後、現在は2機ともキレイにレストアされ、今も展示されている。

一方、航空自衛隊では、陸上自衛隊より先に米軍から救助ヘリとして供与されたが、こちらは引退寸前
の機体だった為、3機を一つにして、ようやく稼動できるほど程度はよくなかった上、事故による墜落もあったが、なんとかだましだまし使われ、川崎V-107兇虜陵僂泙粘萃イ辰拭

こちらも2機ほどが現在もレストアされ展示されている。

ベトナム戦争の初頭に米軍も南ベトナム兵を載せて使用したが、高湿度に弱く故障が相次ぎ早々と本国に引き揚げられた。

名称は「ワークホース(働き馬」だったが、残念ながら、名前ほどの活躍実績は無く、「フライング・バナナ」と言われていた。

何かと不評だったヘリであったが、後のV-107競弌璽肇襦△修靴萄の主力であるC-47チヌークの遺伝子を築いた実績は評価に値する。

キットは結構作りやすかった。特に気をつけることといえば華奢な部品の管理位である。