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2006年10月。岩手県雫石の山林から飛行機の残骸の一部とシートが発見された。

それは今から35年前に上空で散った全日空・ボーイング727-281(JA8329)のものである。

1971年。この年、乗客増加に対応する為ボーイング727をさらに胴体を延長した新型・281型
(81とは全日空仕様の意味。46は日本航空。ボーイング社の整理番号)を導入したばかりで、この
JA8329も採用2番機の新品で、使用開始から4ヶ月目だった1971年7月30日。

この機は千歳を離陸して羽田に向かっていた。

その一方で航空自衛隊松島基地から2機のF86Fセイバーが離陸。1機は教官、もう一機は最終過程教育中のパイロットだった。

指定された秋田・岩手県境の空域で教官機が全日空727を確認。直ちに生徒に指示を与え回避しようとしたが、生徒機は727の後部に接触。

2機ともきりもみ状態で急降下。生徒機は脱出し、田んぼに墜落。全日空機は「操縦不能!」の叫び声を新潟管制塔に残し、途中で爆発。雫石の山林、直径7キロに散らばった。

爆発の原因は、急降下によりマッハを超え破裂したものと推測された。

乗員乗客162名全員死亡。

2名の自衛隊パイロットは緊急逮捕。国会へも話が持ち上がり「国民を守る自衛隊が自国民を殺した」

と週刊誌やテレビは連日報道。国会も怒号の連発、当時日本史上最悪の航空事故となった。

しかし、後に民間路と訓練空域が重なってるのは問題だが、全日空機も全く回避しなかったことから
全日空パイロットも、余所見していた可能性が浮上したのだが、
この件について証拠が全く出てこなかったのも問題視され以後、旅客機にはボイス・レコーダとフライト・レコーダを装備することが義務化された。

現在、全日空により、当時回収された機体と、今回発掘された部品は丁寧に永久保存され、雫石にも慰霊碑を立て、機長の襟章などを展示。以後絶対事故を起こさないと誓う。この35年。全日空は事故は全く無く世界で最も信頼できる航空会社の一つとして評価されている。

(画像は当時のサンデー毎日 筆者所有)

画像のキットは1970年代中盤に発売されたもので、当時作成されたのを譲り受けた。
現在は入手困難である。