夫の祥月命日のお墓参りは無事に終わった。

 

駅の改札口で義理姉は待っていてくれた。

義理兄(義理姉の連れ合い) が車で、迎えてくれる。

義理姉が開口一番、義理弟が今入院していると言う。

 

お墓参りに伺う旨を電話で伝えた時、

何となく、ちょっといつもと違うような気がしたのだが、

まさか義理弟が倒れて、入院中とは思わなかった。

義理弟ではあるが、私よりも年上である。

 

義理弟は近くの繁華街に出かけている時に、路上で倒れ、

人がたくさんいる所だったので、救急車を呼んでもらって、

その地域で一番大きな心臓専門の診療科にある病院に搬送された。

はっきり聞かなかったが、心筋梗塞になるのだろう。

心臓の大きな血管が2本詰まっていたそうだ。

カテーテルで血管を広げて、すぐ具合が良くなったのに、

その後突然急変して、集中治療室に入り、いろんな機械や管に繋がれて、

意識も戻り、良くなった。

50日くらいの入院で、仮退院し、12月にぺースメーカーを入れる手術をする。

ペースメーカーを入れる手術もよくあるが、やはり大きな手術だと思う。

 

そんな時にのこのこお墓参りに伺って、まさに“おじゃま”してしまった。

義理母もだいぶぼんやりしているが、ボケているというには、

ちゃんと受け答えもできる。

ただ、同じことを、繰り返し何度も言う。(でも、大体3回くらいだ)

義理姉の孫が大きくなって、楽しみではあるが、

大人はどんどん年を取って、これが高齢化社会の現実なんだなぁ、と思う。

 

ランチをご馳走になり、ちょっとだけ観光地をまわり、帰路に着いた。

1年経つと、本当にいろいろなことが起こる。

私も腕にコブができちゃったし。

 

まわりが先に高齢者になっていき、

私は高齢者の順番待ちと言ったところだ。もう順番がまわってくる。

高齢者になんか、なりたくない。いつまでも若くいたい。

昔も今も、みんな、年は取りたくないと思ってきたのが、よくわかる。

高齢化社会が自分の身に迫り、もう少ししたら、真只中に放り込まれという現実。

ちょっと時間が経つだけで、こうも感じ方が変わるものなのか、と

わかった次第である。

お墓参りの感想じゃなくなっているが、若くして死んだ夫は老醜と無縁だ。

勝手にいいように考えることにする。