これは絶対に忘れることはない、と思っていたことを

「あれっ、どうだったっけ?」

と思うようなった。

 

夫の祥月命日が来ても、悲しくてたまらないということは

なくなったけれど、複雑な気持ちになる。

夫が亡くなったのは、私の弟の誕生日の次の日だった。

検査入院した病院でくも膜下出血を起こして、大学病院に救急搬送された。

だから、夫がくも膜下出血になった時、どういう状況だったのかは

全然知らない。

 

夫が救急搬送された連絡が来た時、夫は生きているのか、と確認した。

「生きている」と言われたけれど、生きてはいたが、意識はなかった。

病院に行って、その後帰宅して、

「ああ、今、日本に電話すると弟の誕生日が台無しになるなぁ」と

と思った。

だから、日本の夕方だったのだろう。

一体何時だったのか、今となっては、細かい時系列が思い出せない。

 

だんだん鈍感になっていくのは、きっと生きていくために

必要なことなんだろう。

誰も聞くわけでもないから、夫が死ぬまでの経緯や、死んですぐのことは、

誰かに話すこともない。

覚えていること、思い出すことはあるけれど、話さないから、

そのうち忘れてしまうのかなぁと思う。

年を取ってボケて訳がわからなくなった時、どんなことが頭の中に

残るのだろう。

自分でも気付いていない、深いところに何があるのか。

私は長生きして確かめてみたいと思う。

(確かめられるか、知らんけど。)