5/24(月) 如懿伝66話「深い溝」 ~暗香湯~ | そんな感じ。 since March 28, 2005

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日常生活の中で、ふと感じたこと。

関心したこと。

その時の感性のおもむくままに気ままに書き留めています。

2021年05月24日(月) 晴時々曇

【東京】 最高気温 28.9℃ / 最低気温 17.0℃

 

如懿は衛嬿婉の謀略で第13皇子を死産する。

衛嬿婉の差し金で懐妊中の如懿の子を逆子にした産婆の田氏と欽天監は、死産の原因を如懿の持つ星が強すぎる為、我が子が生き延びられなかったのだと上奏する。

弘暦はその言葉を即座に否定はしたものの、潜在意識に刷り込まれ、如懿に『※克死』と言ったものだから、二人の間には深い溝ができていた。

 

※克死(kè sǐ): (夫婦・親子の間において) 一方の運が強く他方を圧倒して死に至らしめること。

 

皇太后が二人を取り直そうとするが、弘暦も如懿も互いに訪ねようとはしないまま、半年が過ぎていた。

そして、漸く皇上(=弘暦)が翊坤宮(yì kūn gōng =如懿の館)を訪れる。

 

ぎこちない会話を交わす二人を気遣って、如懿の侍女・容珮が皇上に暗香湯を出す。

左側のお菓子は芋頭酥(幾重にも重ねた皮でタロイモの餡を包んだケーキ)でしょうか?

台湾で買って食べたことがあります☆

⇒ 2012年03月31日(土) タロケーキ

 

そなたの暗香湯がずっと飲みたかった。

 

暗香湯・・・前にもどっかで出てきたような・・・。

 

⇒ 每日頭條 2018-08-23

それは第2話でした

 

雍正帝が崩御し、弘暦が皇位を継承。

(1735年10月 24歳で在位。 因みに如懿は弘暦の7歳年下で、この時17歳。)

弘暦の義母・熹貴妃(鈕祜禄ニオフル氏)の宿敵であり如懿の伯母である雍正帝の皇后であった烏拉那拉(ウラナラ氏)の処遇を巡って板挟みになっていた弘暦。

一方、如懿(当時は青櫻)は熹貴妃(鈕祜禄ニオフル氏)から伯母を助けたくば、これを飲めと毒を受け取っていた。

死を覚悟し、弘暦と面会した青櫻は、伯母に対する配慮に感謝の意を示す。

「そんな~他人行儀な~。」とばかりに、「(子どもの頃の思いでがつまった)青櫻が作った暗香湯が飲みたいな~」と話題を変える弘暦。

 

弘暦: いつ作ってくれるの~? (皇上、若い~☆ 24歳)

 

青櫻: 梅の花はまだ咲いてないわ・・・。 (梅の花が咲く頃には私はこの世にいない・・・。 死を覚悟した17歳。)

 

その後、伯母の烏拉那拉(ウラナラ氏)が自害し、宮中で生き抜き、伯母の望み通り皇后まで登りつめた今の如懿。

あれから20年の歳月が流れ、永璟の出産時は、如懿37歳。 

 

暗香湯の作り方は師走頃の早咲きの梅を、夜明けに半開の花を摘み、萼(へた)ごと磁器の瓶に入れ、1,2個ごとに,煎り塩を1~2杯捲き入れ、竹の葉の厚紙で密封する。 

夏になったら開封し、まず蜂蜜を少しばかり杯の底に入れ、花を3、4輪加え、熱湯を注ぐ。
冬に作り、翌年の夏、開封して飲む物。

 

 

だから、如懿の侍女・容珮が「お出しする時を間違えましたか?」と聞いたのかな。

容珮は、『乾燥する春も暗香湯を飲めば肺が潤います。』と言い、皇上も『気持ちがあれば時は関係ない。』と答えていました。

 

弘暦: 永璟の早世後そなたを案じていた。 だが一歩が踏み出せなかった。

 

己の悲しみに対峙できない弘暦は、永璟の死産で打ちひしがれる如懿が一番寄り添って欲しかった時に、訪れてくれることはなかったし、「永璟は克死した。」とまで言われたのだ。

 

そして、今、如懿を支え続けてきた愉妃が甥の扎斉を通じて、産婆の田氏に金を渡し、永璟を死産に導いた嫌疑をかけられている。

 

愉妃の潔白を信じ、冤罪にならぬよう徹底的に真相の解明を弘暦に嘆願する如懿。

セットが素晴らしい☆☆☆

 

だが、夕餉をともにしようという弘暦を、すげなく返してしまう。

 

如懿: 陛下は親子の情や夫婦の絆よりも、漠然とした星のお告げを信じている。

でも陛下は私の心にわだかまりを残した。 簡単には消せない。

 

20年の歳月を経て弘暦が望んだ暗香湯を供することができたというのに、二人の間にはマリアナ海溝よりも深い溝ができてしまった・・・。

 

第2話で登場した暗香湯が、66話で登場。

伏線の張り方とか、構成が緻密で見応えのあるドラマですね。