2009年04月19日(日) 晴れ
何事も最初の「刷り込み」が大事というか、なかなかそれを越えられないものだと思う。
いきなりそんな大仰な事を言っておきながら、結局は「花男」の話なんですが。
最初に「日本版花男」を見て嵌った人に「台湾版」を見てもらっても、
「松潤のイメージが焼きついているから台湾版の道明寺は受け入れられない・・・」とか、
「台湾版の日本風を装っている所に違和感を感じる」とか言われて拒絶されてしまうんですよね。
「台湾版は、なんとか2話まで見たけど、それ以上はもう無理でした・・・。」
なんて涙ぐましい努力をしてくれた人もいました。
私は、「日本版花男」の最初のシリーズは見ていないですが、
最近、リターンズの再放送を何本か見ました。
で、やっぱり私は台湾版に嵌った派なので、日本版には熱くなれないです。
別に受け入れられないという程でもないですが、9話にしてついに禁断の
早送りボタンに手を伸ばしてしまいました。
なんだか日本版には、道明寺の一貫した一途さ、勢いとか、熱さが感じられないのよね。
道明寺が自分の母親を面前で「ばばぁ」呼ばわりしているのも気にかかる。
携帯で母親の名前を「ばばぁ」と登録しているのは笑えるとして、
目の前の母親を「ばばぁ」と呼ぶ方も、咎めない母親もどうかしていると思う。
台湾版の道明寺の母は、その点は毅然としていました。
それから道明寺の言葉の荒さも、すごく気になる。
“オレ様”効果を狙ってので、言葉遣いなのかもしれないけど、
感情的になった時だけでなく、いつもあの荒い言葉遣いというには、
母国語故に、だんだん不快に感じられてしまう。
もっとも台湾版の場合は、中国語の語気助詞のニュアンスがよくわからないから、
気にならなかっただけかもしれないけど。
で、花男ではよく「道明寺派? 花沢類派?」って聞かれるけど、
台湾版では断然道明寺派ですが、日本版では、にしかど派です。
台湾版のシーメン(西門)も素敵だったけど、財閥の御曹司という設定になっていました。
日本版は原作に忠実に、お茶の宗家の御曹司という設定。
松田翔太くんが、茶室で背筋をピンと伸ばして正座している姿が品と趣があって素敵でした。