安心という土台の上に成り立つ | つれづれなるママに

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40代突入。保育・支援の道できっとまた働きたい。空手チャレンジ。小6・小2の男の子の育児。日々のことを綴っていこうと思います。

「安心」して

 

自分のことが言える

 

家庭の中ではそれすら

 

意識せずに いられる場所でありたい

 

 

週末の夜の光景は

 

だいたい、旦那がいるときは

 

寝そべって、旦那の背中の上に、

 

息子たち2人がのっかっている。

 

私には それが 安心できる家庭の光景に移る。

 

 

ただ 普通のことやんって。当たり前のことじゃないかって

 

言われそうだけど、、

 

父の再婚後、新しい母との 共同生活が

 

他人との生活が 苦痛だったことが蘇る。

 

血のつながりを強く意識した瞬間だった。

 

何を発言しても 否定的に捉えられ

 

そうなると、何も発言したくなる。

 

最終的に「何考えてるのかわかんない」って言われる。

 

元看護師長であるが故か、神経質で

 

家庭の掃除も余念がなく、すみずみまで行き届いている

 

考え方も聡明で 頭のよく切れる人だから

 

「家庭」の中が まるで なんだろう、、主従関係のような、、

 

安らぎとはかけ離れた空間になっていたことを思い出す。

 

職業病みたいな感じで、看護師としての自分が

 

ものさしになっているのか、その職業観と母さんの人間性が

 

ごちゃまぜになっていて 話はしごく ど正論なのだが

 

安心して発言などできない。

 

「気が抜けないんだろね。」

 

妹とよく 今の母について話をしていた。

 

兄妹で 同じような悩みを共有できたのは

 

本当に助けになった。

 

そのときは 悪魔や敵以外の何物でもない、、と

 

今の母のことを思っていたが

 

今になっては

 

一通りやりあった?あと、実家も離れているし

 

母も苦しんで 悩んでいたんだなということ

 

人間が一緒に暮らすということは

 

血がつながっていようが、いまいが

 

どこかで「折り合い」をつけて

 

過ごしていかねばならない。

 

そんな「折り合い」が 平和であった

 

祖母との暮らし。

 

祖母は亡き母の母であり、

 

母が亡くなってから すぐに来てくれて

 

育ててくれたから 私たち兄妹にとっては

 

育ての親であることに変わりはない。

 

あぁ。。話が脱線した。。

 

という経験もあったからか

 

「普通の家庭」とか 何気ない光景に

 

自分が感じる幸福感が強くなっているのだと思う。

 

 

赤ちゃんお母さんお父さんおじいちゃんおばあちゃん赤ちゃんお母さんお父さんおじいちゃんおばあちゃん

 

仕事も残すところ、あと数日。

 

28日が最終日。

 

結局 保育補助として 入ったものの

 

資格がなければ、同じ土俵にすら上がれない。

 

身に染みて感じた。

 

資格を取って、新たな気持ちで またスタートしたい。

 

でも「支援」で先生に教えてもらったこと

 

「支援」を少しでも経験できたこと

 

本当によかったと思う。

 

わずか半年。。でも半年 頑張ったよねって

 

自分に言いたい。

 

もうちょっと頑張れただろ 笑

 

頭の中にいろいろ響くけど

 

3月、時間が少しできたぶん

 

保育士試験の勉強を 集中してできる時間が増えると

 

思って 進みたい。