皆さん、こんにちは mano manoオーナーセラピストのemikoです
さて、前回、前々回と皆さんを驚かすような、
重ーーーーーーい生い立ちblogを書いたんですが、 それを書いた理由は、今日の話にも繋がっていて、それを書いたからこそ書ける話や伝わる話があるなと思ったからなんです。
そんな私の激重の生い立ちブログ気になる方はこちらから、覚悟してご覧ください
そういうの苦手な方は、是非ともスルーお願いします。
それで、今日の本題なんですが、
愛情をもらえなかった人は愛情を与える事は出来るの?
という事についてのお話です。
これは私が子育てで直面した問題なんですが、
よく、人はしてもらった事しか人に返せないという話聞い事ないですか??
私もこの説を信じていた所があって(というか今も信じてます)
人にしてもらった、された事がある事しか返せないとしたら、
幼少期踏んだり蹴ったりだった私は
果たして子供に愛情を捧げるのか??という問題に直面したんですよね。
父が私を愛していなかったかというと、愛してくれてたとは思います。
ですが圧倒的に触れ合う時間はなく、男の人なので言葉で表現された事もなく、
わかりやすい頭なでなでとかも全然された記憶がないです。
むしろ、今だから愛してくれてたと思うって思えただけで、子供の時は生まれてきたくなかったとさえ思っていたほどでした。
そんな私が子供を産み、母になった訳なんですが、母になったら今度は、その
人にされた、与えられた物しか人には返せない問題が頭をぐるぐる🌀とし、
私は子供たちに愛を与えられてるんだろうか?
これは愛情表現なんだろうか?
などと悩む様になりました
皆さんも思い当たる節はありませんか?
幼少期の辛い思いをずっと抱えてる方
親を憎んでるという表現に近い思いの方
もっともっと自分はこうして欲しかったの思いが抜けない方
そんな自分が親になり、子供に愛情たっぷり接しられるだろうかと…。
そこで私はずっとお世話になっていた心理の先生に質問しました。
愛を与えられた記憶がない人が人に愛を与える事が出来るんですか?と。
そしたら、その質問に対してのお答え、
私は一生忘れないと思いますし、この言葉にすごく救われました。
「幼少期に色んな思いをされて育ってきた方は、よくこういった壁に直面したりしますが、そういう方に私がよく言う言葉があります。
20歳を超えたら自己責任
とよく話させて頂きます。」
と言われたんですよね。
はじめ、ちょっと理解出来なくて、ん???
となったんですが、この言葉の意味としては、
【幼少期に自分のしてほしい事をしてもらえず、
愛情を感じずに育った人が、
じゃあ大人になり、愛する人や子供が出来、
愛を与えられないかというとそうではない。
20歳を超えたら、待ってばかりでなくて自分でそれを取りに行く
自分できちんと受け取るという事が出来るはず
だから20歳を超えたら人のせいにしない】
と言われました。
それは親でなくてもいい!友達でも彼氏でもいい!と言われ
私よく考えたら、取りに行ってたんですよね
皆さんも自分がもらえなかった愛情を、そのもらえなかった人に矢印向けてませんか??
私は親から与えてもらえなかった物を沢山その後出会った周りの人からもらってましたし、
貰いに行きまくった時期がありました(笑)
(念のためいうと高校生くらいの時ですw)
そうやって人は足りない所をきちんと補おうとするんだなと思いました。
私の誰にも見せれないようなドロドロした部分や切なさを全て埋めてくれる人に出会えてたことに気づき、
なにかがふわっと軽くなったのを覚えてます。
あんなに苦しかった幼少期を過ごした私が
今子供たちとゲラゲラ笑いながら過ごせている事が誰かの少しでも抜け道になれたら良いな、、
そんな思いで今日の話を書きました
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
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