古いアルバムから懐かしい一枚が♪

 

昭和45年 6月17日 借家にて

母が菓子やパン、雑貨などのお店を開店

父は洋菓子工場に勤めるサラリーマン

当時の私は2歳で弟は1歳 

末の弟はまだ生まれる前で


隣りは叔父(母の弟)の魚店

ここを原点に、その後も魚屋のおじちゃんは多方面に商売を展開していった。良い意味でも悪い意味でも我が家を巻き込んで、先走って父よりもいろいろなこと決めてしまう人だった。


開店祝いの大きな花輪 昭和だなぁ〜

6畳と4畳半の部屋は茶の間〜客間〜寝床にローテーションしフル活用  


一家に1台のテレビで、弟たちとは観たい番組が合わなくてチャンネル争い


汲み取り式トイレに落ちそうで、ちょっと怖かったな… 傍らにはトイレペーパーではなく、四角いチリ紙が備えてあって


ダンプ街道と呼ばれた陣馬街道 

あの頃は街へ行くと言えばバスで、四谷の交差点がひとつのポイント地点 

追分で陣馬街道と甲州街道が交わり、本郷横丁、織物組合前と進むにつれ、徐々に商店が並ぶ街らしい景色に

かつての大丸デパートのお子様ランチが食べたかったな… ダイエーや長崎屋の踊り場のソフトクリームやフランクフルトに淡い期待も…

「我慢しなさい!」は耳にタコができるほど聞かされた言葉


ダイヤル式の黒電話

手紙を出したり、返事を待ったり……一日千秋の想いで


現像に出したフィルム写真の出来上がりが待ち遠しくて… 


寒い季節の肉まん、あんまん♪ 

切らしている時に限ってお客さんが現れて

ちょうど良く蒸しあがり食べ頃の時にはお客さんがなくて、時間が経ち過ぎるとふやけてしまって…

販売には苦労していたね。


お風呂上がりのアイスクリーム♪ 

懐かしい30円の棒のアイス、たまに50円のカップアイスを。100円の宝石箱は憧れで

商品を私たちが食べてしまって、なかなか売り上げには繋がらなかったね。流石にレディボーデンは眺めるだけで、アイスケースの中でずっと固まっていた…


よくお店に来た近所の小林のおばあちゃん♪

かぁちゃん! と母に声をかけ、上がってコタツに入る。和菓子のすあまが好きで、諏訪神社のお祭りに毎年お小遣いをもらった。


母は髪をアップにし、白いかっぽう着、腕には輪ゴム、グローブのようなガサガサの手

学校の父母会などがあるとお店を閉めて出席、忙しいのにガンバっていたね。 


11年ほど営んだお店を閉店して引越し。青天の霹靂のような中2になる春の転校。

それから小・中学校の友とは音信不通に…


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時は流れて令和7年 (2025年12月) 

8月21日に父は90歳で旅立ちました。

穏やかな人でした。


母は現在82歳。父が居なくなり急に弱り、あの逞しかった背中は小さくなり、出来ることが少しずつ減っています。


魚屋のおじちゃんは77歳。七転び八起き。

訪問看護でお世話になりながらも、生涯現役をモットーに復活への糸口を模索しています。


一枚の写真から、蘇ったあんなことこんなこと

“昭和” 皆それぞれの立場でガンバっていたのだと振り返ります🙂