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昨年

 

長寿で元気だった父が、暑い夏の日に亡くなった

 

母は、昔から足腰などが悪く、高齢化し、骨折してから介護が必要になり、認知機能も低下し、施設に入って4年目だった。

 

父はいつも言っていた。

 

わしより先に逝くなよー♪(勝手やわ)

 

周りは、いや私でさえ、父の方が長生きすると思っていた。

 

インドの死生観のように、死とはすぐそばにあるもの、と言うのは頭ではわかっていても自分の深い部分では理解できてなかった

一緒に暮らしていただけに、ショックが大きく、立ち治りに時間がかかっている、

 

母は父亡き後も何とか頑張っていた。父との約束守る為かどうかは、もはや分からないけど

 

もう何度も軽度の肺炎を起こしたりしつつ。

その日は突然やって来た

施設からの(今朝から少し具合が悪い)との連絡で次の日、午前中、会いに行ったら、しんどそうだが目を見て話せて手を握ったりしながら過ごして、午後からは妹が会いに行った。その時も同じ感じだったと報告があった。もしかしたら明日は少しとろみ食がたべれるかな?とおもった。

 

その日の仕事帰りの日、梅田の駅で電車待ち、施設から連絡があり

母が亡くなりました。と聞いた。

そこからまた施設へ急いだ。

朝、息をしていたのに、していなかった。妹が施設を去って50分後だった。待っていてくれたと思う。

 

台風直撃な予想の日の葬儀だったが、台風なんてどーでもよかった(私には)

その日は、雨も止んで曇り空だった、守ってくれた

3日後に葬儀が終わった。この日は、昨年父が亡くなった日だった。

夫婦とは、、そんなに仲が良くなかったはずなに父が連れて行った。

 

人はこの世に生を受けて、明日死んでもいいように生きる。

それこそが生きるという事。

だと思った。

2人の私の親はこの世から居なくなったが、それは当たり前の事。

そうやって私たち次の世代にその意味を残してくれた。

意味なんてないか

あるのは母が私を生んでくれたという事実。

 

生きるのがかなり不器用でしたが、愛があり、そして料理上手な母で食への大切さを教えてくれた。

 

ありがとう

 

本当にお疲れさまでした。

 

やすらかに