ちょといい話「国に残した妻のために日本で指輪を買おうとしたら」
日本最強伝説より
その人が国に残した妻のために日本で指輪を買おうとしたら、「サイズは何号ですか?」と聞かれた。
サイズなんて考えてなかったから、「聞いてきてからまた来ます」と言って、電話で妻に聞くと妻も分からないという。
妻は地元の宝石屋に行って聞いてみると「靴じゃあるまいし、サイズなんて
計って売るなんてあるかい!」って言われたので、しゃーないから妻は自分の指に糸を巻いて、
「このくらいです」と日本にいる夫に手紙と共に送った。
夫はその糸を持ってまた宝石屋に行き、事情を話し糸を渡すと店長は女子店員を呼び集めて
その糸を指に巻かせ、何号かみんなで考えてる。
結論がでて「このサイズだと思われますが、もし、合わない場合はいつでもお電話下さい」と言われたそうだ
(実際サイズは妻にぴったりだった)。
「日本人の客に対する気配りには感動した」なんて書いてたような気がする。
★良いニュース、放射能「0」!
●放射性物質、基準超ゼロ スイス、日本産食品を検査
「産経ニュース」
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故を受け、スイス政府が同国内で流通している
99の日本産食品サンプルの放射性物質検査を行ったところ、
基準値を超えた食品がゼロだったことが16日、分かった。検査機関が同日発表した。
検査対象は日本茶や魚類、野菜、果物、コメなど。昨年11月に無作為抽出し、
放射性セシウムなどの検査を行った。
スイスは欧州連合(EU)と同様、日本からの輸入食品について原則として
福島、宮城両県、東京都など11都県産以外の産品とする規制を実施。検査対象になったのは
この11都県産以外のものという。(共同)
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★ さすがは日本! \(^o^)/
こうして一歩ずつ確実に世界の信用を取り戻して行けば良いのです。
毒入りギョーザを作ったり、口蹄疫エキス入り「韓国の美味しい水」
を作る国とは違うんです!
-ポリエステルのシャツを着るな-
鎌倉シャツという会社があるそうですね。
「カンブリア宮殿」にも出たことのある貞末良雄という人の会社です。
(見てないんですが。)
高速道路の照明灯の設計をしていたのが、VANに転職、という相当面白い人みたいで、
それが今度は夫婦二人でシャツの製造を始め、今や年間30万着を販売しているとか。
昨日偶然、氏のコラムを目にすることができ、ちょっと読んだだけなんですが、
でも、こんな人こそ理想の日本人というべきなのかもしれないなと思わされました。
・・・とまあ、こんな風に書き出したんですが、氏のことについて思ったことはまた後ほど、
ということで、今回は氏のコラムに寄稿されている出石尚三氏の文の一部を転載します。
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~煎じつめて言うなら、どのような気持で会社に行くのか。どのような気持で仕事に相対するのか。
仕事の品質とシャツの品質とは、大いに関係がある。まさにシャツは「男の心意気を示す」ための重要な部分であるのだ。
シャツの品質。シャツの品格。シャツの雄弁性。
しかしそれは難しいことではなくて、とりあえずコットン100%のシャツに袖を通してみることからはじまる。
まずはそれからだ。
わずかシャツ1枚のことではあるけれど、人は皆誰でも、ポリエステルのシャツを着ている時と、
コットンのシャツを着ている時とでは気分が違う。
これはもう論より証拠、一度実際に着てみると、すぐにその違いに気づく。
ポリエステルのシャツに甘んじることは、自分自身に妥協する結果となる。
「どうせオレはどこにでもいるフツーの男さ」と考えはじめないとも限らない。これは大いに危険なことであろう。
一方コットンのシャツを着ると、自らを大切に思う心が生まれる。誇りと言って良いかも知れない。
誇りを持って働く男と、そうでない男とでは、どちらが仕事の品位、品質、品格を保てるか。
これはもう考えるまでもないだろう。
「どうせオレは...」と考えることは、自分自身に対して失礼であり、仕事に対して、会社に対して失礼である。
それこそ礼儀を欠くことになる。
そのような諸々の礼儀を欠かないために、「ポリエステルのシャツを着るな」と言いたいのだ。
おしゃれ云々としての発言ではない、とお断りした理由はここにある。
いや、おしゃれ以前の、もっと根源的な、礼儀作法と連なることであるからこそ、
山口瞳同様、白い目で見られるであろうことを覚悟してまで、申し上げているのである。
出石尚三のファッション論考
「人生の品質を高めるために -ポリエステルのシャツを着るな-」よりー
http://www.shirt.co.jp/clm2/clm2/06.php
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何とまあ大袈裟な、と思われましたか?
「ポリエステルのシャツに甘んじることは、自分自身に妥協する結果となる。」
それは自分の可能性を否定し始めることにつながるかも知れず
そして
「これは大いに危険なことであろう。」
つまり、
「ポリエステルのシャツで十分と思っていると、大いに危険である。
何故なら、ポリエステルのシャツは人間(この場合はサラリーマン、又は勤め人)を駄目にするからである」
と言っているようなもの。
いや、そこまで極端なことを言われているわけじゃないんですけどね。
ポリエステルが悪いんじゃなくて、「ま、いいか」といういい加減な心持が問題なんだと言われているわけなんですが。
でも、大袈裟ですか?やっぱり?
けれど、私は氏の言われる通り、本当にそうだ、その通り!と思います。
「自分自身に妥協する」
というのは
「いくらやったってオレの力はこれがマックス。ないものねだりはしないでくれ」
ということです。限界を自分で設定している。
言い方を換えれば、
「人間の努力なんて高が知れてる。努力したって結果に大した違いはない。
各々に天分、才能があって、それを持って生まれていないものは何をやってもダメなんだ」
と言ってる様なもの。
そして更に「努力したってしょうがない。才能、ないんだから」
なんてことにも。
でも、「自分なりに」、でなく、本当に何か必死になってやったんですかね。
「才能、なかったんだから」と断言できるほどに。
「どうせオレは...」と考えることは、
①自分自身に対して失礼であり、
②仕事に対して失礼であり、
③会社に対して失礼である。
それこそ礼儀を欠くことになる。
これ、反対の順番で見ると、まずは
「オレみたいな者を雇ってる会社なんか」(大したものじゃない)」という考え方は会社に失礼だ。
「オレみたいな者がやる仕事なんか(大したものじゃない)」という考え方は仕事に失礼だ。
「オレみたいに能力のない者なんか(大したものじゃない)」という考え方は自分に失礼だ。
何故なら本気でやりもしないで自分を評価するという最低なことをしているのだから。
小(自分)から大(会社)の順で見たらいい加減に見てしまえるけど、
会社を先に見るといい加減に見られないでしょう?これは日本人の誇れるところ(蛇足ですけど)。
会社をバカにし、仕事をバカにし、自分をバカにする。そこから、何が生まれてくるだろうか。
会社を大事だと思えば、社名に泥を塗るようなことはしない。
仕事を大事だと思えば、いい加減な取り組みはしない。
自身の一生は自分だけが、それも一度だけ歩むもの、と思えば、いい加減には過ごせない。
「ポリエステルのシャツを着るな」というのはその心意気の有無を問うているわけです。
つまり、「一事が万事」なんだと。
「礼儀」を欠いてはならない。会社にも仕事にも自分にも。
ということは、外に対してもそうでなければならない。
「相手を認める」ということはそういうことです。
闇雲に受け入れることでもなければ、言いなりになることでもない。
ましてや服従することなんてあってはならない。
けど、だから全面否定、ということではない。
どうも我々は、自らを一顧だにせず、コットン100%のシャツを着ている、と思い込み、
その実、ポリエステルのシャツを着て、気づかず毎日を過ごしているような気がする。
沖縄本土復帰40年
間もなく沖縄がアメリカより返還されて40年を迎えますが、複雑な心境です。
沖縄は先の戦争では国内で唯一地上戦となった場所で多くの方が犠牲になっています。
日本に復帰後も沢山の米軍基地が残されて、基地の負担に苦しんでいる方がいます。
しかし、米軍基地があるお蔭で、沖縄や日本ひいては東アジアの安定がある事が
なかなか理解されていないのが現実かと思われます。また、政府はこの様な状況を
十分に認識して国民、特に沖縄県民を説得する事がなされていないのではと思います。
最近のアメリカの海兵隊普天間飛行場を辺野古に移設する事に象徴される様に、日本には沖縄を統治
する能力はないのではとの懸念があります。沖縄は日本に返還されましたが、
再度アメリカに返還する事も暴論かも知れませんが、考えてはどうかと思案しています。
各位のご意見賜れば幸いです。
追記 普天間基地周辺の住宅、学校などを騒音など無い場所に移転させる事も
検討された事が無ければ考えるべきかと思われます。