ベタなタイトルにしてみました。ネット検索狙いです。効果あるかな?じゃあ本題です。

 

 前回投稿からいろいろな評論読んでみましたが、利他的な鬼滅隊と自己中的な鬼という設定対比というのはなるほどと思いましたが、その他にはあんまり収穫なかったです。という事で前回に追加してこの話の良いところを書いてみます。

 

 実は余りアニメとか見ないので大きなことは言えないと思いますが、自分内部でのこの作品に感じた魅力を書いたという条件でご了解願います。まずね、表現が新しいというか意外性に富んだ展開が良いですよ。アニメ序盤で炭治郎が鬼と最初に遭遇して戦いになったとき禰豆子が横からきて鬼の首を蹴っ飛ばしたシーンとかびっくりした。修行中に登場する錆兎、眞菰。泣かせる。戦いにおいても切れない首を切る必然性がそれぞれの戦闘シーンに存在しているのにも驚く。

 

 戦いの物語は掃いて捨てるほどあるわけだがここにおいてもっとも難しいとされるのは「強さの表現」です。敵を倒して成長した主人公にはより強力な敵が出現しないと物語にならないのに新しい敵の強さを表現するのが難しい。無論この新敵を倒すとまた新しい敵を登場させるのだが当然そこにもさらに強力な強さの表現が求められる。このインフレーションをこなすのが大変。ドラゴンボールではスカウターという画期的なアイテムを出して強さを数字化しこの問題を解決したともいわれていますね。最近はどうなっているのでしょうか?

 

 この強さの表現が鬼滅では素晴らしいですね。まだ私は無限列車までしか物語を知りませんが、十二鬼月以外の鬼でも苦戦していた炭治郎が下弦の五と戦うときに刀折られちゃうとかありえない危機が訪れたりします。でもこの展開であってもある程度納得できる結末が準備されてました。首切ったと思った瞬間切れていなかったとかの展開も面白かったです。そんな戦いの戦術的な展開、見事です。さながらスポーツの名試合のようです。ドキドキしながら見ました。そんなドキドキが新しい十二鬼月が登場する度待ってるかと思うと私の弱い心臓じゃ持たないのではないかと思てしまいます。この先に登場する上弦の鬼のプロフィールをネットでちらっと見てしまいましたが、恐ろしく強そうです。本当に倒せるのかなと心配してしまいます。こちらにも柱という頼れる存在がいますが、大丈夫かよって感じです。もうこの戦いが楽しみでネタバレが怖くってアニメ化するまで絶対にこれ以上の事は知りたくありません。ああ、でもいつまで我慢できるでしょうか。

 

 さて、もう一点、コメントしたい点があります。それは戦いの作戦とか指揮に関する点です。あんまり今まではアニメにおいてこの点をうまく表現できていたとは思えませんでした。銀河英雄伝説とか宇宙戦闘なのに古代の歩兵戦と同じ展開で全くお笑いでした。ベルセルクも90年代に作成された分は本当にひどい。敵の大軍勢の前に一人立ちはだかって滅茶苦茶大活躍してそのどこが作戦なんですかって感じ。平成になって作成された分はまだましですけどまだやっぱり作戦というより一人の力に頼った展開になっています。そこのところが鬼滅だと無限列車で煉獄さんが5両担当、禰豆子、善逸が3両担当、猪之助、炭治郎が首切りととっさに任務が割り当てられます。これが指揮ですよ。これが作戦なんですね。首切る時も猪之助と炭治郎で作業分担があります。そして、これが有効で必要なんですね。素晴らしいですね。

 

 なんか長々書いてしまいましたが結局言いたいのは鬼滅は新しい「戦いの表現」が出来ているわけです。死の扱い、強さの表現、戦いの展開、負傷と回復、恐怖と勇気 (この点では善逸に注目) 敵味方の一人一人に対する人格設定の深さ、独創性、ネーミングセンスにも感心です。そしてこの間気が付いたのですがアニメにおける炭治郎の顔って小学生向けの通信教材の絵とそっくりなんです。鬼滅のヒットを受けて教材側が似せたかもしれませんけど。どちらにせよ、まあ、この二種類の絵には親和性が高いと思われます。子供に受けているにはこの辺りに秘密があるかもしれません。

 

 こうすれば必ずヒットするなんて言う方程式はないでしょうが、これじゃダメだって基準はあると思います。ひどい映画多すぎますよ。ヒットした作品をしっかり分析することでよりいい作品を沢山作ってほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 鬼滅の刃が大いに世間に受けている。本屋に行って一人一冊ずつとか購入制限がかかったことなんて初めて見たからとても興味を持った。もうジャンプとか読まなくなって30年にはなるし目も弱くなって細かな絵とか見るのつらいからネットでアニメを見てみた。だけど大正を舞台にしてアニメ顔とか違和感ありすぎで第一話も最後まで観れなかった。

 

 それでも帰省してきた娘に聞くと頑張ってみれば面白くなるそうなので頑張って観てみたらだんだん面白くなってきた。無限列車の映画も行った。結構熱中してきた。そのわけも考えてみた。ネットの意見も参照にした。その上で自分なりの感想を書き残しておこうと思った。

 まず、殺し方が丁寧で死んだ者の思いをよく伝えている。戦いの最中もモノローグも命のやり取りをしているヒリヒリした切迫感を感じさせられる。この生きるか死ぬかの緊張感が自分の知っているアニメ、邦画、洋画を問わずあらゆる映像作品の中で特出した表現に成功している。

 考えてみると、先の大戦では余りに多くの人が無為に死んでいった。そのためか我々は無為の死を「犬死」と呼んで忌避してきた。それ故か特にアニメなんかで雑魚キャラや敵以外のキャラは簡単には死なない。味方の主要キャラが死ぬときはもう大騒ぎだ。以前、息子が泣いていたので理由を聞いたら「エースが死んだ!」っていうんだ。それは誰だか聞いたらルフィーの兄さんだそうだ。あれだけ戦闘に次ぐ戦闘で味方が初めて死んだ訳だが一緒に旅しているメンバーでもないんだ。それで泣くかなーって思ったよ。ゴジラだってガメラだってどんなに決定的な傷を受けてもなんかキラキラした映像処理で奇跡的に復活するんだよな。もういつものことだから奇跡じゃなくって予定調和さ。宇宙戦艦ヤマトの第三艦橋も不死身なんだよな。

 

 でも鬼滅は違う。ちゃんと怪我もする。那田蜘蛛山で猪之助が怪我をするんだけどこのダメージに結構拘っていて驚いた。絵柄的には普通のアニメなら無視する程度のけがの表現なんだけど、戦闘不能になってしまうんだよね。怪我をするから当然治療も必要になる。治療院があって入院したりする。ここを表現した映像作品って結構少ないと思うな。

 

 さて、何年か前に「君の名は」を見たとき映像の美しさの驚いた。その前に見たアニメ作品は何だっただろうか。劇場に行った映画だとハウルかな、もうその進化に感動していろんなアニメをネットで見てみたよ。でもあまりいい脚本がなくて映像の良さだけじゃ限界があると思ったよ。「天気の子」なんて雨上がりの映像求めて雨降る世界にしたんだろうけどそれって主客転倒じゃないかって思うよ。「君の名は」は脚本も良かった。時間差のアイデアが面白かった。

 

 結論を言うと今回のヒットは多分デジタルで長足の進化を遂げていたアニメ表現がついにふさわしい脚本に出会ったから生まれたのではないかとおもう。長い間忌避し続けてきた犬死も含めたリアルな死と向き合いが生の煌めきを魅せた。そして人によらず鬼によらず死の直前に訪れるというその人の人生の回想を通じて残される思いを提示して泣かせた。命の大事さを表現するのに奇跡の復活は逆効果だろう。人の死は予測不能で刹那的で不可逆的で決定的な出来事なんだ。そんな当たり前のことをしっかり表現したことがこの作品の成功を呼んだと取り敢えず言っておきます。

 令和をコマンドピースだとする英国紙に対して外務省はビューティフルハーモニーだとその意味説いたと聞き、何と良い年号だと感心したものだった。ハーモニー、夫々が自分のパートを責任もって奏でるとき美しい調べが生まれる。

 それがどうだろう。令和になって4か月足らず、お隣韓国からはひどい不協和音しか聞こえてこない。これじゃ新天皇の御代の開幕がなんとも冴えないことになってしまう。確かに「相手の事情を斟酌せずに自分の希望を一方的に主張する」事を甘えと呼ぶとき韓国の日本に対する外交的主張は甘えそのものだ。韓国は日本から独立してはや74年になるのに日本に甘え続けていて精神的な自立が出来ていない。そのことを自覚させるためにあれ程度彼らを突き放す必要はあるとは思う。

 しかし、河野外相にはもっと知恵を働かせる余地はないのだろうか?ホワイト国待遇を外したのは純粋に技術的な理由だったのに徴用工問題に対する外交的報復として誤解されている。この誤解をとけないのは外相としての能力不足ではないのか。また慰安婦問題を最終的に解決するはずだった日韓合意が一方的に齟齬にされたのは韓国と外交交渉をして合意に至れば政権が変わろうがどうしようが順守しなければならないという国際法の基本が分かっていないということである。韓国外交を一人前にするためこの問題を大きく取り上げ国際法の何たるかを知らせる必要があるはずなのだが河野氏がこの問題で動いたとは寡聞にして聞かない。

 そりゃ言いたい気持ちはわかる。だが、国家と国家の舞台で無礼だのなんだのと相手国をののしるのではお隣の国と同レベルだ。もっと人格に余裕のある知恵働きができる人物が日本にはいないものか。もし、外務大臣を交代させるなら追い詰められた韓国に対する大きなメッセージになる。まあ、代わりの人材があればの話だが。