アメリカ人と日本人の違い。
これを学ぶことはこの留学最大のテーマの一つです。
まだこちらで生活して3ヶ月ちょっとなので、全てを理解した訳ではありません。
ただ、そんな中でも色々と気づいたことはありますので、少しずつ記事に書いていこうと思います。
今日は「コミュニケーションの違い」について。
もっとも、そのテーマを語り出したらここには書ききれませんので、ある一つの内容に絞って。
それは、「自己主張をするアメリカ人、相手を察する日本人」についてです。
アメリカ人は非常に「自己主張」します。
嫌いな人に対しては人間関係が崩れることにより自分に不都合が生じる可能性があれば、もちろん本音は隠しますが、原則として自分の感情を隠すことはありません。
また、前にも書いたように、年齢による上下関係が存在しないため、年配の人に対しても何でも遠慮なしに自己主張します。
なぜなら、どんな相手であれ、自分の思ったことをちゃんと人に伝えないと、不都合が生じることが多い国ですから。
ですので、そもそも人間教育として、アメリカでは相手の気持ちを「察する」ことはなされていません。
これは、アメリカ人が人間的に問題があるのではなく、そもそも相手の気持ちはしゃべってくれるので「察する必要がない」という必然の結果です。
なぜこう思うかというと、アメリカ人は、例えばlady firstだったり、あとは自分がドアを明けた時に後ろに人がいた場合は必ずドアを押さえたりとか、あとは挨拶やお礼、こういったことについては例外なしに全ての人が出来るように教育されております。
だから、アメリカ人が人間的に気遣いが出来ない人間なのではなく、ただ単に文化の問題なのです。
ただ、本当は相手の気持ちが言葉を超えて理解出来れば、それが理想であることはおそらくアメリカ人も理解しております。
その一方で、日本人はどうかと言えば、日本人はアメリカ人からするとおそらく信じられないくらい「遠慮」する民族なのだと思います。
その理由は皆さんよく分かっていると思いますので、ここでわざわざ書く必要はないと思います。
アメリカ人は気性の荒い民族というイメージを持たれているかもしれませんが、双方の自己主張に対して論理的整合性を重視してディスカッションをします。
このディスカッション能力については、話が長くなるため、また別の機会に書きたいと思いますが、相手が何を言っても建設的な議論になるため、遠慮無しに自己主張出来る訳です。
一言で言えば、日本人は非常にコミュニケーションが下手くそで、なおかつコミュニケーションのノウハウが確立されていない民族です。
ただ、その一方でそれを補うために生まれた非常に長けている能力が「相手を察する」能力なのです。
相手が辛そうな表情をしたり、体調が悪そうな雰囲気があれば、日本人はすぐに察します。
アメリカ人はどんな表情をしても、自分の口で言わなければ伝わりません。
頭に来るでしょ(笑)。
ただ、おそらくアメリカ人も本当は言われなくても相手の気持ちを理解出来ればベストと考えていると思います。
要はそれを教育出来る人がいないだけ。
私は東京五輪がその最大のチャンスではないかと思っているのですが。
その一方で、そんな鈍感で自分勝手に見えるアメリカ人から学ぶこともあります。
アメリカ人のように相手を察することなくひたすら自己主張することは、日本の文化には決してそぐわないと思いますが、遠慮しすぎて自己主張が全然出来なくなることは大きな問題だと思います。
だから、もしチャンスがあれば、日本人がアメリカのような国で生活することは大きな意味があると、ここで生活して強く実感しております。
私自身も、自己主張の仕方というものを色々と学んでいます。
ただし、注意しないといけないのは、あくまでも日本の環境に適合するのに必要な自己主張の仕方を習得することです。
ところで、話は変わりますが、リオ五輪は日本は多くの種目でメダルを獲得でき、少なくともロンドンよりはすでに良好な結果を出すことが出来ています。
そんな中、十分な結果を出せていなかった女子バレーボールはアルゼンチンに勝利して決勝トーナメントに出場したようです。
さすがにこれに対しては私は「おめでとう」とは言いません。当たり前です。然るべき結果な訳であり、途中過程に過ぎない訳ですから。
それはともかくとして。
果たして今の全日本メンバーはコート内外で良好なコミュニケーションが取れているのでしょうか?
ちなみに竹下さんは、おそらく相手を察する能力も自己主張する能力も非常に長けていた選手だったと私は理解しております。
然るべき時期にまた詳しく記事に書こうと思っていますが、今後全日本に必要な選手は、こういうことが出来る選手ではないかと思います。
また、リーグでもこういうことが出来る選手がいて、そこでチームが一体になったチームが浮上するものと思います。