2006年4月、長男はすったもんだの末~大学生になりました。大学生ですよ!とは言っても実は高校のすぐそば、とは言ってもリハビリに通った病院の隣(笑)


大学が決まってリハビリの先生方に合格の報告に行ったら全員に笑われながら祝ってもらってました(笑)リハビリ卒業したと思ったのに隣の大学に通うとは○○君らしいねと。


故に大学もチャリンコ通学。大学ですから地方から来た人は寮生活だったりアパート生活。そんななか自宅からチャリ通学~みんなに「贅沢者!」と言われていたようです。(この部分だけは親孝行者でしたね)


大学に入り、そしてDコーチに出会い···
「行っちゃおうよ!」の勢いで北京パラにむけ動き出しました。倒れたときもそうでしたが目標が確実にあたまの上に掲げられると~長男は猪突猛進。誰かが止めに入っても走り続けてしまいます(笑)


あの頃の私の記憶の中に長男が家にいた姿がないのです。朝起きて大学へ行ったっきり夜まで帰ってこない。授業後Dコーチと練習、それがない日は近場のスポーツセンターのプールやスイミングに通い泳ぐ。


泳ぎと泳ぎの間はスポーツセンターのトレーニング室にいって自転車漕いで有酸素運動。夕飯食べたらまた泳いで~家にいない(笑)


フッと思った···本当に大学の授業受けているのだろうか?と疑問に思ったけど~信じるしかない。なんやかんや言って最後はつじつま合わせてくるだろうって。でも長男~あなたは大学生ですよ!(笑)


そんなこんな泳ぎ込んでいてたら~2007年秋には秋田で開催される障害者スポーツ大会(障害者国体)の東京都代表になり···


秋田には旦那の父母がいるのです。長男にとって祖父祖母。競泳の大会など見る機会などないだろうから見に行ってと知らせておいた。(次男坊の学校があるので私は東京に)


おじいちゃん、おばあちゃんは近所の方に孫のことを広めまくり~応援に行ってくれたようです。孫の泳ぎは小さすぎてよくわからなかったようですが、終わってから孫と会うことができて嬉しそうな写メが届きました。じぃばぁ孝行出来たかなと(笑)


さて秋田国体が終わり~あと数ヵ月で北京パラリンピック代表選考が始まります。国内、国外での記録などが選考の基準に。選手は協会からの封筒が届くのを首を洗って待つしかないのです(現在は選考方法は変更)


さてさて長男はパラリンピックの選考されるのか~落ちるのか?とうなりますやら(笑)
ではでは次回まで~失礼します。