2004年のジャパンパラリンピックで全国の選手の泳ぎを目の当たりにして、倒れる前に泳いでいた時の気持ちが甦ってきたようです。ただのんべんだらりと泳いでいるのも楽しいのですが自分のタイムを切るという感覚···それに向かって練習をすることの楽しさを思い出したようです。


自分は泳ぎは出来るようになった。でも競技として世界の選手と闘える水泳が存在していないと思い込んでいた長男にとって目の覚めるような出会いでした。


週1回のチーム練習でも気持ち的にガンガン泳ぐようになり~次の年からみんなと一緒に都大会、東北大会、関東大会と連れていってもらいました。


そこで「タイムを出していく!」ここでタイムを出せれば全日本とジャパンパラリンピックに出場できるのです。


当時はそんなことも判らず~チームの方に

「今度大会あるから~宿泊代と電車賃用意しておいてね」

と言われるがまま付いていくだけでした(笑)
最初の頃は私も一緒に同行していました。


なんやかんや大会に出て~タイムが切れて
ジャパンパラリンピックに出場できることに!
そうなると健常者の大会と違い、障害の程度によりクラス分けを受けなければなりません。


同じ視覚障害でも全盲の選手と視力が残っている選手ではクラスが違います。足や腕の切断や長男のような片麻痺、下半身不随、下半身不随やらと障害が様々です。


ですから、陸上でどのくらい動かせるか、水中でどのくらい動かせるかなどを数字化して判定してクラスが決まるのです。


初年度長男もクラス分けを受けるよう連絡が来ました。今までチームのみんなと一緒に行動していたのですが、今回だけは長男と私だけで大阪のなみはやドームへ会場入り。


初めてのジャパンパラリンピックの空気感に完全に飲まれる親子(笑)ましてやクラス分けの審査員が日本人じゃない!バリバリに英語で会話しています!もう長男の顔面は能面のようになっています。


順番を待っている間も~ガチガチ
呼ばれて部屋に入っても~ガチガチ
右手右足~ガッチガチ(笑)


審査の委員の方も分かったようでリラックスさせてくれようとするのですが~英語で語りかけるのでもっとガッチガチ(笑)委員の方はクスクス笑いながらテストが進みます


だって田舎の少年、若干16歳~田舎に外国の人と話すチャンスなんてありゃしない。ましてや中高校の英語なんて(笑)私はクラス分けよりも~長男の顔見てたほうが面白かったぁ。


水中テストでも「もっと動くだろう?頑張って泳いで~」と言われるのですが陸上以上に水中では右手右足は固まっちゃうんです···


最初から最後まで何故か委員の方が長男を見てはニコニコ笑い···いやウケてる?でも無事に「OK!finish」と言われて終わりました。委員の方が長男の肩をバンバン叩いて最後まで笑っていました。


終わった瞬間の長男の脱力感は半端なかった(笑)そこまで緊張してたのかと。しかしこれでクラスが決まり試合に出られることになりました。クラス分けを受けている合間にも大会関係者の方や強化の方に声をかけてもらい少しアピール出来たかなと。


強化の方からは~
「名前は伺ってます!今回の泳ぎを見させてもらいますね。楽しみにしています」と。


ありがたい声かけでした。
あとは長男がどれだけパフォーマンス出来るかにかかっています。でもクラス分けだけであんなに緊張して右半身ガチガチになっちゃうから~


さてさて初めてのジャパンパラリンピック!
どうなりますやら~
では次回まで~失礼します。