高校生活を楽しんでいる長男と障害者水泳の世界に歩み始めた長男。


高校のクラスの仲間は長男ことをどう見ていたのかわかりませんが~重度の障害者として扱ってはくれていなかったようです(笑)普通に?当たり前に?何でもない?って感じだったようです。


でも出来ないこと、やれないこともあったはずですが、その辺は長男が中学の同級生に支えられ、甘やかされなかったことで培った力が助けてくれたのかと思います。プラスして水泳部で出会った女子部員の彼女の厳しい甘やかさない態度(愛情たっぷりの)が長男を助けてくれていたのです


障害を持って健常者の中で生活する時間と障害者の仲間のなかで活動する時間と二足のわらじ生活。でもそれがあったから気持ちが安定していたようです。


数年経ってから長男が言ってました

「高校や大学でみんなとワイワイやっているは楽しかったよ。でもね~出来ないことや気軽にチャリに乗って出掛けたり出来ないこと···やっぱり障害を意識することもあったし辛いなってことあったな」

「ラッコのみんなと泳いでいたり、喋ったりしてるとホッとする。まぁ自分が1番年下だからみんなが甘やかしてくれるからかな(笑)」

「やっぱり···普通の生活では緊張してたんだろうね」

などと~笑顔を絶やさない長男ですが、彼なりに彼なりのやり方で健常者の世界と障害者の世界を行ったり来たりしていたようです。


そんな中、2004年にアテネパラリンピックが開催されました。息子が障害者なのに全く見ていませんでした。調べていく内に辰巳水泳場で「ジャパンパラリンピック」が開かれることを知りました。


その大会は標準記録を切った日本中選手が集まってくる大会です(そんな大会があるのも知らなかった)、アテネパラリンピックに出た選手も無論出場します。


色々調べていくと、その選手の中に左半身麻痺で長男の2歳年上の選手がいたのです。病気は違いますが長男と障害が同じだったので~思わずその選手のお父さんのブログに書き込みを!是非お会いしたいと~


すると「是非会いましょう!」とお返事をもらいました。えっちらおっちら長男と一緒に辰巳の会場へ!始めてみる障害者の全国大会。泳いでいる選手の速さやカッコよさに長男は目を奪われたようです。


△△選手のお父さんと会い、話をしていく内に長男は障害者の世界にもトップの大会「パラリンピック」と言うものが存在し、そこに出るには日本の強化選手に選ばれなければならないことなど教えてもらいました。


△△選手のお父さんが長男の身長や体格を見て、

「強化の関係者に○○君のこと伝えておくよ!でも強化に呼ばれるためには関係者のメモ帳に○○君の名前をメモらせなきゃいけないんだよ!メモらせるのは君の泳ぎだけ!わかるよね?タイムを出して目立つしかない!頑張れ。」

そうです。勇気を奮って強化選手のお父さんに連絡を取り会場に行ったことで、また長男は一歩前に進み始めたようです。


長男も選手や会場の雰囲気を目の当たりにして~

「俺、俺···やってみたい。ここの大会で泳いでみたい!」

気持ちが固まったようです。
長男にとって進む道がはっきりと見えた瞬間でした。今までうっすらとしか見てなかった道が~
ここが長男のスタートライン!


「母さん!俺···目標出来たよ!やってみる」


さぁ長男の障害者水泳への本格的な第一歩
さてさてどうなりますやら~

ではでは次回まで~失礼します!