季節柄、怒涛のような水泳レッスンをこなす中、

お盆でもあり、あの世からの来訪者もあったりして、

終戦の日のそれぞれの人たちの想いを見つめ、

自分を見つめるワークもしたりなんかするから、

波のように気持ちが揺れたこの3日間。

あ~、さっぱりした(笑)

この感覚を忘れたくないからブログに書きました。

日々に埋もれてしまうだろうから、記しておこっと。

私の記録ですから読まなくていいです(笑)

揺れることオッケー。

むしろ、揺れろ!ってとこです。

せっかく生きてるんだから。

私のストーリー、話し始めると、みんな黙ります。

かなり悲惨らしい(笑)

今回いろいろ思い出されてきたことの中に、

幼い頃、飯場で暮らしたことを逐一思い出しました。

どうして忘れていたんだろう。

ものすごく楽しかったのに。5,6歳の頃。

そうそう、「飯場育ちなんてことは絶対に言うな」

と言われてきたんだった。

父にも母にも祖母にも近所の人にも、そして

つきあった男性たちにも。

どうして?と思いながら、社会では言っては

ならないことのように感じてしまっていたのかも

しれない。

飯場って知ってます?

トンネル工事とかダムの工事とか長期にわたる

建設現場には、働く人のためのプレハブが立ち、

工期の間はみなそこで寝泊りします。

現場監督だった父と一緒に暮らせるのが

嬉しくて、楽しい思い出しか私にはなかったけど、

(母はそうとう嫌がっていたなあ…笑)

飯場には、昔は「流れ者」といって、素性の

わからない人も多く、また今でいうところの

「アルコール中毒」も多くいて、毎晩喧嘩の仲裁に

父は夜中まで動いていた。

飯場というくらいだから、

料理するおばちゃんがいて、こわかったけど

たっぷりと身体に肉をつけ、汗だくで大なべを

かき回していた姿が思い出される。

大なべも半端な大きさではなくて、

その中で5歳の私が水遊びできたくらいだから、

飛んでるハエはその湯気でポトンポトンと落ち、

鍋の中身は多種多様のタンパク質が入っていたと

思う。

そんな中、生きるか死ぬかのドラマが毎日起きた。

朝元気に出かけて行ったおじさんたちが

帰ってくる時には遺体になっていたりしたから。

ダイナマイトがバクハツしてしまったり、

土砂に埋もれてしまったり。

今福島で何が起きているかなんて簡単に想像できて

しまう感性はその頃に培われたのかもしれない。

幼い私を誰もがみな可愛がってくれた。

しみじみと郷里の子供たちのことを語る人もいたし、

失った家族の代わりに、自分の子供のように

いつも私を胡坐の上に置いて、

「恵子ちゃんはいつもニコニコしていい子だね」

って頭をなでてくれていたっけ。

そんなこんなで、

今回はその時の風の匂いさえも思い出して、

「生きる」って壮絶であり、

その壮絶さの中に「安穏」もあり、

「優しさ」と「愛」が混在していて、

そのへんの愛の物語よりもずっと強烈で

なおかつ美しかったこと、

そして誰もがみな「愛」に飢えていて、

その表現はグレたり喧嘩したり叫んだりと

いろいろだったけど、

その目の中には悲しさと寂しさとやるせなさが

映っていたこと、

子供でもわかるんだね。

工期が終わって打ち上げの時の

共に暮らした何か月間を一緒にねぎらう

歓喜の瞬間と、

みなバラバラに去ってゆき、

ガランとした飯場のプレハブがいつしか壊され、

何もない更地の向こうに、

とてつもなく大きなダムがあったこと、

みんなと別れるのが寂しくて寂しくて泣いたこと、

みんな思い出して、

そっかあ、私の性格はこの頃にできたのか~

と思った次第。

それは振幅幅が大きいってこと(笑)

落ち込むのも激しいけど有頂天と歓喜とで

ウハウハな時。ほとんど躁と鬱とが交互にきて、

こなごなにするscrap and build 建設する。

疲れるわけだ(笑)

それがエナジータッピングで変わった。

変わった、というより、どうとらえるかを

知ることができたと思う。

ニュートラルを知ったから。

タッピングすると見方が変わる。

なぜか変わる。

ぶれてもいい、

大きく倒れてもいい。

どうせ戻るから、ってわかるようになる。

見方が変われば、同じ状況でも違って見える不思議。

悲惨な過去も、今では大切な宝物。

というわけで、

今日も私はいらない概念をscrapにして、

Buildするのみ。そのためにタッピングありいの、

トラブル起きいの、ウォーター・ヒーリングスイムありいの、

にぎやかな友達増ええの、また問題起きいの。(笑)

今日も面白い一日のはじまり。

おつきあいくださりありがとうございます♡