こんばんは。
今日は往復6時間かけての神奈川県での
水泳レッスンがありました。
なが~いおつきあいの生徒さんと会える嬉しさで
心もはずむってもんです。
行った先は、湘南地方にある公共プール。
以前は、大きな窓に外の景色が季節を伝え、
初夏は爽やかな木々の緑が、
秋には紅葉した木々の黄色が、
水面に映って、
それはそれは美しいプールでした。
それが…
すべての窓にブラインドが下ろされ、
なにやらうす暗く、活気のないプールに。
実は、ここで、昨年の秋、死亡事故が起きたのです。
病気で亡くなられたらしいのですが、
水面がキラキラして監視員が見逃したかもしれない…
というそれだけの理由で実行された、
「ブラインドによるブラインド」
太陽をさえぎり、
自然と水との調和の光を断ち切り…
その結果として、暗く、どこまでも暗いプールに
なってしまったというわけです。
これほど全体の波動が下がるとは、と、
今日は水の冷たさが身に沁みました。
それについて、私は正直、こう思っています。
事故を恐れるあまり、監視員たちが、
「不安」「怖れ」を過剰に感じ始めると、
実は、プール全体の波動が落ちて、
第二・第三の事故を呼んでしまうことが
あるのです。
気づきませんか?
泳いでいる人たちに笑顔がなくなってきていることに。
気づきませんか?
安全のための過剰な警告・注意に対して、
「そんなに迷惑かけてるか?」
といつもの10倍過剰な反応が返ってきていることに。
つまり、
ブラインドを下ろしたことによって、
事故を知らない人たちまでもが、悲しくなって
きているのです。それはプールに入ってみれば
誰でも感じることができるものです。
たしかに監視員の方たちやプール関係者も
傷ついたことでしょう。
私もセラピストと同時に、水泳コーチであり、監視についた
経験も多くありますから100%理解ができます。
そんなことがあった時には、監視という仕事が、
怖くてできなくなるかもしれない。
その頃はエナジータッピングを知らなかったわけですしね。
でもこれだけはわかっていましょう。
事故は、注意していても起きるものだということ。
人間を受け入れている限り、そこで命を終える人が
いたとしても、
それは、
寿の命、寿命として受けとめなければいけない。
プールはそういうところなのです。
命の循環するところ
そう私は考えています。
ときどき私はプールの生徒さん、
特に80歳以上の方に、
「水泳のレッスン中に恵子コーチの腕の中で
死ねたら本望だわ~」
と言われたりします。
私が大柄なせいもありますが、
そのお気持ち、すごくよくわかるのです。
だから、
「それは困ります!」
とは言いません。
人間、いつかは死にますよね。
そしてその「いつか」は誰にもわかりません。
プールの中、ということだってあり得るってこと、
もう一度考えてみましょうよ。
今日は、
亡くなった方とプールにタッピングしてきました~。