来館者からお礼の一筆と貴重な昔の写真を頂きました | 龍飛岬観光案内所 龍飛館

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H24年 6月30日(土)

こんにちは、いつもブログのご愛読ありがとうございます。
先日、群馬県から数名のお客様がいらっしゃいました。


「龍飛と書かれたこの看板は今でもありますか・・・」 との事・・・





これですよ・・・と。


ちなみに・・・。


「この 写真を見てください」と・・・


昭和37年(50年前)に龍飛岬に来た事があるとの事で、懐かしい写真を見せて頂きました。




 


この看板は昭和36年、旧三厩村の観光協会の方々が龍飛岬のへの入り口に看板を設置するにあたって、龍飛岬に縁のある(板画家)棟方志功に題字を依頼することになりました。

龍飛の住民で、当事 棟方氏と親交があった 柳谷 良吉氏がハガキで依頼したところ、棟方氏は快諾し、早速和紙に書かれた「龍飛」の書が送られてきました。

村観光協会は、看板の作成を船大工に依頼し、造船で用いられていたヒバ材に転写し、完成させました。


 


これも昭和37年頃の龍飛岬の帯島(おびしま)ですね。現在は防波堤があり、風景が少しちがいますね・・・。

 

大変懐かしく想っていらして、この看板の前で写真を撮ってさしあげましたよ。






お礼のお手紙の一部のご紹介をします。

上のトヨタのクラシックカーと 龍飛の看板を思い浮かべてみましょうか・・・


先日は大変お世話になり ありがとう御座いました。
昭和37年(50年前)に龍飛岬に行ったことが有り つい懐かしくなり・・・
私は人生の日暮れに近づき、落ち着きが出来たので 昔行った龍飛岬に行きたくなり・・・
一人で行こうと思っていましたが、友達に話したら、一緒に行きたいということで 急きょ出掛けました。
今回、行って見て 大変な変わり様に 驚きました。(浦島太郎の気持ちです)

当事は道は狭く、砂利道で青森からでも半日位時間が掛かった記憶があります。

私は当時営業で全国を回って商売していました(開拓地や農村地区で)・・・
ですから、どうしても車でないと商売になりませんでした・・・・・etc・・・。

地元の話しや青函トンネルの工事のこと等を話していただき心に残るすばらしい旅に成りました。

案内所にへは、六月二十一日(霧雨)の夕方と、二十二日(晴れ)・・・九時前(開いておらず)
灯台や青函トンネルを見て、十一時ころと、三回行きました。

今回は自由気ままの旅でただ龍飛岬に行くというだけで出掛けました。帰りは五所川原のねぶたと弘前城を見て碇ヶ関に泊まり二十三日帰りました。
本当にありがとう御座いました。

との事でした。
心に残る旅でよかったです。

昔と今では龍飛岬の海岸線は随分変わりましたね。

お礼状の入っていた封筒には、懐かしいこの写真のコピーと、看板の前でにこやかに微笑むの小父様写真が同封されていました。

大変貴重なお写真をありがとうございました。
スッタフ一同感激しております。

お礼状を出しますね。

この度は、龍飛岬においで頂き誠にありがとう御座います。

ちなみに、龍飛岬観光案内所は高度なセキュリティー体制です。

揚載されている写真の無断使用・転載等は固く禁じてます。
ご理解とご協力ありがとうございます。


龍飛館でした。