成田 雲竹の作 外ヶ浜音頭保存会の皆さん「外ヶ浜音頭」を踊る | 龍飛岬観光案内所 龍飛館

龍飛岬観光案内所 龍飛館

龍飛岬観光案内所から
旬の情報をお届けします。


皆さんこんにちは、毎日寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか・・・。
もうしばらくこの寒さが続くようですが、お花屋さんに並ぶ梅やサクラなど春を感じさせられるものが店頭に並び、少し和やかな気分になります。

先日の東奥日報で【成田 雲竹の作「油川」を回想】というタイトルで「外ヶ浜音頭王会保存会」の皆様がご紹介されていました。現在は約50人の会員の方々が県内外で振り付けを広めているそうです。

ちなみに、外ヶ浜の地名は「新古今和歌集」 1205年 藤原定家が詠んだ和歌に
「陸奥(みちのく)の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうたふやすかた」 とあることから古くから陸奥湾に面した地域(青森市と東津軽郡一帯)は外ヶ浜と呼称されていました。


 

曲に合わせて踊る「外ヶ浜音頭保存会」の皆様たちです。




(上記写真は龍飛館にあるものです)

津軽民謡を全国にひろめた、成田 雲竹先生です。隣にいる方は 高橋 竹山先生です。

成田 雲竹(明治21年~昭和49年) 本名 武蔵、 明治二十一年一月十五日、西郡森田村月野の農家に長男として生まれ、百姓になるはずでしたが、民謡が好きで大変な苦労した末、とうとう、津軽民謡の大家となりました。16歳で家を出て、その時ふところには五十銭玉ひとつしかなかったということです。苦労また苦労の連続でした。木場人夫、機関士見習、電信工夫などして、明治四十一年、警察官になりました。
やがて警察官をやめ、札幌を皮切りに、うたひとすじに生きることになるのですが
大正十四年、東奥日報社会部竹内記者(現知事)の世話もあって、ラジオ民謡放送に、津軽民謡の代表者として参加しました。

この時、うたったのは「ホーハイ節」と「じょんがら節」です。以後、成田 雲竹の名とともに、津軽民謡が全国にひろまりました。

成田 雲竹先生の功績、それは津軽民謡を全国にひろめたことはもちろん、めくらこじきとすることーとさげすまされてきた民謡うたいを、りっぱな芸能に引き上げたことです。
「オコサ節」 「ワイハ節」 「りんご節」 など、雲竹は新しい民謡も作詞作曲しました。

昭和二十九年には東奥賞、三十四年には県褒章がおくられました。

津軽民謡の父といわれた成田 雲竹と出あったことが、高橋 竹山の芸をいっそう深くさせました


「高橋竹山」を語るイベント情報は下記から
http://ameblo.jp/tappikankou/entry-11156019715.html